受刑者からも「買いたい」と手紙が。伝説の雑誌が廃刊から半年で“奇跡の復活”を遂げたワケ
この報を目にしたときは、一つの時代が終わった気がしました。芸能人でも有名人でもなく、ごく普通の一般人ばかり登場する雑誌として2004年に創刊した『東京グラフィティ』が2025年4月号をもって休刊となったのです。
休刊ということはすなわち廃刊のこと。事実、最終号の表紙には大きく「FINAL」と記されているし。
ヴィレッジヴァンガードを訪れれば購入or立ち読みしたし、街の書店を訪れたら表紙から放たれる妙な存在感で圧倒された『東京グラフィティ』。そんな平成のカルチャーを語るうえで欠かせない雑誌も、出版不況のなかでついに力尽きたか……。そんなふうに筆者は思い込んでいました。
そして2025年11月、ファンのもとに新たな報が届きます。同誌のSNSアカウント(@tokyo_graffiti)が以下のメッセージを発信したのです。
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皆さまへ
一般人のリアルを発信するメディアとして21年間活動してきた『東京グラフィティ』は、今年春に雑誌として休刊し、SNSの更新もお休みしておりました。
母体である(株)グラフィティも廃業予定で進んでおりました。
しかし、このままあの『東京グラフィティ』が失われてしまってよいのか?! 編集部としては非常に悔しく、どうにかして活動を続けられないか、模索しました。
そして、前編集長、読者の方、お仕事を共にした方を含め、さまざまな方々と協議を進めた結果、このたび「編集部とファン有志が事業を引き継ぐ」という形で東京グラフィティが活動を再開できる運びとなりました。
まずは、SNSの更新から!
以降、順次、できることをやってまいります。
人間やカルチャーを一番低いところから見つめ、共感しあう眼差しで。ゆるりとリスタートします。
どうか楽しくご覧いただければと思います。
新編集長 仲野
ファン有志 田村
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予想もしなかった朗報にうれしさが込み上げつつ、なにがどうなって奇跡の復活と相成ったのか? 事の経緯が気になるので、新編集長を務める株式会社グラフィティの仲野真人さん(29歳)から詳しく話を聞いてきました!
――2004年に創刊した『東京グラフィティ』が休刊を発表したのは2025年3月です。出版業界の苦境は深刻ですが、やはりグラフィティも苦しい状況でしたか?
仲野:そうですね、本当に苦しかったと思います。特に、僕たちは外に出て一般の方々を取材させてもらう雑誌です。だから、コロナの影響は大きかった。あの時期、外で一般人に話しかけて誌面をつくるやり方は難しかったんです。一番キツいときは、アーカイブといわれる過去の記事を改めて再掲するような対処しかできませんでした。
――その結果、部数の低迷につながったのでしょうか?
仲野:いや、実は部数にはそんなに響きませんでした。ただ、コロナの時期に広告の案件がなくなってしまったのが痛かった。
僕らの編集部は、近畿大学のパンフレット『近大グラフィティ』をはじめとした大学パンフレットなどの制作をよく手掛けていました。しかし、それらの案件がコロナの時期に頓挫したんです。
実はうちの編集部、『東京グラフィティ』の売り上げで黒字を出したことはほとんどありません。というのも、グラフィティは休刊まで「ワンコインで買える」ことを重視し、創刊時の480円から一切値上げをしなかったんです(笑)。「いろんな人に手に取ってもらえるように値段は変えない」というプライドですね。
――すごいこだわり! でも、それで黒字は出なさそうです……。
仲野:雑誌は僕たちが“つくる意味のあるもの”として出していて、ここからお金を得られないのはみんなわかっていました。
だからこそ、大学や企業のパンフレット制作が収入源として頼みの綱でした。『近大グラフィティ』ってこういう大学案内なんですけど。
――(ページを開きながら)大学案内なのに、こんな感じなんですか! 東京グラフティの近大バージョンといった感じがします。
仲野:各学生の高校生時代と大学入学後である今の写真を比べたり、子どもを育てながら近大に通うおもしろい人を取材したり、近大生だけを取材した東京グラフィティみたいな内容です(笑)。でも、そういうグラフィティ的な雑誌のつくり方がコロナの時期にはできず、あてにしていた資金確保が吹っ飛んでしまったんですね。それでどんどん追いやられていってしまったのが現実です。
――2025年4月号で休刊した『東京グラフィティ』でしたが、同年11月に早くも復活が宣言されました。どんな経緯で再開の運びとなったのでしょうか?
仲野:編集部が解散する直前、2025年2~3月あたりに僕が前任の鈴木俊二編集長に「続けたいです。どうにか残せないですか?」と相談をしたんです。そうしたら、「法人で引き継ぐならいいよ」と。
休刊前まで、僕は編集部で副編集長でした。だから、「仲野がそう言ってきてるのはわかるけど」みたいな言い方でしたね。ただ、鈴木さんには「仕事としてちゃんとお金を稼げる方法で続けるならいいけど、仲野の趣味で続けられても困る」という考えがあったんです。
――同人誌的なものにされても困るということでしょうか?
仲野:はい、そうです。その一方で、鈴木さんのもとには「グラフィティがなくなるならば、自分が会社を買い取るから続けてもらいたい」という話がいくつか来ていたようでした。そのなかで1人、強烈なグラフィティのファンの方がいらっしゃって。すごく熱心な方だったので、鈴木さんも「この人にだったら託してもいいかな」という気持ちになり、結果的にその方に法人を引き継いでもらうという話になりました。本当にグラフィティが好きな人、熱心な有志の方です。
――復活宣言の最後に「ファン有志 田村」というお名前がありましたが……。
仲野:そう、その田村さんが鈴木さんを口説けたという感じです。もともと出版系の人ではなく、普段は営業をやっているおじちゃんなんですけど(笑)。「会社は僕が引き受けて、面倒くさい業務は全部やります。あとの雑誌づくりは、SNS運営も含めて仲野さんが全部やるという形だったら続けられそうです! やりませんか?」と言っていただいて。つまり、会社の社員は僕1人だけ。ミニマムで続けていくという形です。
――新体制は編集部が仲野さん1人で、田村さんが代表という陣容?
仲野:そういう形ですね。僕が編集長で、僕しか社員がいない“1人編集長”です。写真も僕が撮りますし、SNSの“中の人”も僕がやりますし、パンフレットをつくるときは僕がデザインを考えます。コストを下げるために僕がなんでも屋になり、グラフィティを残したという感じです。
――東京グラフィティを読むと、各編集部員の熱意が強く伝わってきたものでした。だから、「新体制のグラフィティに加わりたい!」というメンバーはほかにもいたのでは?
仲野:いましたね。ただ、タイミングが悪かったです。2024年12月に鈴木さんのほうから「解散するかも」という通達があり、みんなは現実を受け止めました。そして、就活に動き始めたんです。
――生活のためには仕方のないことです。
仲野:みんな、「どうして?」「続けようよ」と鈴木さんに掛け合っていたはずです。だけれど、鈴木さんは解散を決定事項にしていた。そして、僕と田村さんが復活に踏み切れたのはその半年後でした。その間にみんなの新しい就職先は決まっていた……という状態ですね。








