
左から松原さん、恵満ちゃん、やまとくん
やまとくんと恵満ちゃんも、緊急性を要する局面から、松原さんが引き取った子どもだった。
「やまとの場合は、お母さんが妊娠22週目で、中絶ができる期間を過ぎてから相談を受けました。当時、やまとの実母は検査でお腹の子どもに障害があることがわかり、中絶もできないので自殺しようか、産んでから飛び降りようかと、切羽詰まっている状況で相談をもらいました。その方はすでに子どももいたので、かなり危ないなと身構えたのを覚えています。そこからお母さんを精神科につなげつつ、『引き取り先はいるので安心してください』と説得して、やまとが生まれました。
しかしその後も、心臓の手術をする際に、親御さんが手術の同意を拒否されたんです。病院から『このままでは命が危険なので説得してほしい』と電話をもらい、最終的に『私が引き取るので安心して同意書にサインしてほしい』と同意をもらいました。その後、やまとが生後数ヶ月のときに、養子縁組の手続きを行って私たちにバトンタッチ。そこから私たちとの生活が始まりました」
ほどなくして、恵満ちゃんも引き取る運びとなる。
「恵満に関しては、生みの親が『これ以上関与したくない』という状況でした。恵満が入院している病院に来ないどころか、医療費も滞納しており、恵満は替えの服もない状態でした。そこで早めに、家庭裁判所で親権を取るための手続きを行い、養子縁組の申立書にサインをもらい、手術をおこないました」
恵満ちゃんの場合のように、松原さんのもとに相談だけして、あとは連絡が取れなくなる実親は多いという。それだけ「障害を抱えた子どもを忘れたい」「その事実を無かったことにしたい」と、事態を受け入れられない当事者も珍しくない。

松原さんもまた、やまとくんと恵満ちゃんを育てていくのは「しんどいことも多い」とこぼす。現在57歳であることを考えれば、今後は体力の心配も生まれてくる。
それでも松原さんは、「2人の成長を見守るのは幸せで、多々気づかされたことも多々あった」と語る。
「やまとも恵満も発達が遅れているため、言葉による会話ができません。ただ、言葉を介さないことで、かえって深く意思疎通が図れるようになりました。同じ泣き方でも、嬉しいのか、機嫌を損ねているのか、お腹が空いたのか、いまでは判別がつくようになったんです。
普通の子どもであれば、2〜3歳から言葉を覚えて会話するなか、2人はそれができません。ただその代わり、言葉だけでなく、表情や仕草、その時の雰囲気などを含めたコミュニケーションを教えてもらいました」
2人の成長速度は遅いだけに、周りの子どもと同じような通学や就職は難しい。それは一見、ショックに思えるが、松原さんは「幸せの尺度が変わった」と続ける。
「一般的に子育てをしていると、受験や就職など事あるごとに、他所の子どもと比べて優劣をつけてしまう瞬間が多々あると思うんです。それが2人にはまったくないので、周囲の雑音から解放され、平穏な日々を送れるようになったのはありがたいと感じています。本来、人の生き方に生産性や効率性など関係なく、各々のペースで生きればいい。そう心から思えたのは、2人を育てているからこそでした。
これから2人が、どう成長していくのか未知な側面はありますが、独自のペースで生きてくれたら嬉しいですね。いずれ一緒にご飯を食べに行ったり、軽く晩酌をしたり、そんなことができたらいいなと思います」
2人が成人を迎える頃には、松原さんは70歳になっている計算になる。
ここまで振り返ると、松原さんがそこまでして障害児のために尽力するのか、その原動力がどこにあるのか気になる。牧師の仕事を断念し、生活費を切り崩してまで、幼い命を救う活動に尽力するのはなぜか。次編では、松原さんの半生を通し、活動の原点に迫る。
健常児のような成長は期待できず、育児に労力もかかる。それでも「幸せの尺度が変わった」という松原さんの言葉には、ハッとさせられる。
受験や就職など一定の尺度を気にしない場所で、やまとくんと恵満ちゃんは、今日も自分のペースで生きている。その小さなやりとりの積み重ねが、松原さんの原動力になっているのかもしれない。
<取材・文/佐藤隼秀>