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大分・高校剣道部の熱中症死から17年。倒れた17歳に「演技」と平手打ちした顧問の暴走を、なぜ周囲は止められなかったのか

明らかな異変を目にしても「演技するな」と腹を蹴り、平手打ち

 目の前で異変を起こしていた剣太さんに、顧問は何を思っていたのか。  顧問はその日、剣太さんに集中的に厳しい稽古を課していた。 「もう無理です」めったに弱音を吐かない剣太さんが、はっきりとそう訴えた。限界は、とうに超えていたはずだ。それでも稽古は終わらず、竹刀を払い落とされても、剣太さんは落としたことにも気づかないまま構え続けた。  だが顧問は、その様子を「怠けている」「演技をしている」と受け取った。「演技するな」そう言って腹を蹴り、倒れ込んだ剣太さんに、平手打ちを十数回繰り返したという。顧問はのちに、この稽古を「喝を入れるためだった」と説明している。  剣太さんは、決してサボるような性格ではなかった。生真面目で、キャプテンとしての責任感が強く、弱音を吐かなかった。  ある日、奈美さんは、剣太さんの両足の太ももに、15センチほどの赤いミミズ腫れが、斜めに何本も走っているのに気づいた。驚いて尋ねると、剣太さんは「俺はキャプテンやけん、しょうがないんよ」とだけ言った。  防具で守られていない部分ばかりを、顧問が狙って打っていたようだ。そう分かったのは、後になって弟から聞いたときのことだった。  その真面目な性格の剣太さんが「もう無理です」と訴えていたのに、稽古は止まらなかった。

連帯責任や同調圧力の中で、部員が声を上げる難しさ

 その場にいた部員たちが声を上げればよかったのでは。そう感じる人もいるかもしれない。だが、そんな単純なことではないと、私は思う。  私自身、この事件を知るまでは、厳しい稽古こそ剣道に欠かせないものだと思っていた。武道とは、技だけでなく精神を鍛えるものだ。だから多少理不尽に思える稽古も、「厳しさには意味がある」「これも稽古のうちだ」と受け止めてきた。そうした考えが、いつの間にか自分のなかに染みついている。  武道の部活動には、独特の空気感がある。自分が手を抜けば、自分だけでなく、仲間にも迷惑がかかる。連帯責任や同調圧力のなかで、「弱音を吐いてはいけない」という空気が、少しずつ当たり前になっていく。  私が中学生の頃、何日も続いた合宿でのことだ。顧問からは、「一日の稽古量を計算して体力を温存するな。今この瞬間にすべてを出し切れ」と言われたのが、印象に残っている。もちろん、実際には体力を残さなければ稽古は続かない。それでも、気持ちのうえでは常に全力でという教えだった。  だからこそ、剣太さんが「もう無理です」とギリギリまで口にできなかったこと、そして口にしてもなお止めてもらえなかったことが、私には痛いほど分かる。  こうした空気のなかで、生徒が自分から「おかしい」と声を上げるのは、限りなく難しい。それは、子どもたちの弱さではない。閉じた世界のなかにいれば、麻痺してしまうものだからだ。だからこそ、その空気に飲まれず、一歩引いて「これは危ない」と判断できる立場が必要になる。剣太さんの稽古の場で、それができたはずの大人は、顧問と副顧問しかいなかった。  しかし、その二人は限界に達している剣太さんの異変を見誤り、止めるどころか、さらに追い込む指導を続けた。子どもが声を上げられない空気があるのなら、なおさら大人こそが止めなければならない。その最後の歯止めが働かなかったことにこそ、この事件のいちばんの問題があったと私は思う。
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「なぜ止めなかったか」通夜で副顧問に問い詰めると
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