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点滴を打ちながら走ったら青春映画みたいになった【こだま連載】

こだまの「誰も知らない思い出」 その7】

誰も知らない思い出――――――――――――――――――
 自身の“愛と堕落の半生”を、ユーモアを交えて綴った『夫のちんぽが入らない』(1月18日発売)が早くも話題の主婦こだま。

 彼女は閉鎖的な集落に生まれ、昔から人付き合いが苦手で友人もいない。赤面症がひどく、人とうまく話せなかったこだまはその日の出来事をノートに書いて満足するようになった。今はその延長でブログを続けている。

 家族、同級生、教員時代の教え子、相部屋の患者。当連載は、こだまが、うまくいかないことだらけの中で出会った、誰も知らない人たちについての記録である。
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マユミさんと見た花火



 ぽつん、ぽつんと規則正しく、ゆっくりと、抗生剤が落下してゆく。真夏の病室に、おばあさんの湿布のにおいと昼食の煮物の残り香が、むんと立ち込めている。私は近所の住民が放つレース鳩の旋回を目で追ったり、向かいのベッドに入ったばかりのマユミさんをぼんやり眺めたりしながら、点滴の袋がぺちゃんこになるのを待った。マユミさんは橙色の大きなタオルケットをピクニックみたいにふわっと広げた。

「検査が終わればすぐ退院だから」

 彼女はそう言って、売店で最小限の生活用品しか揃えなかった。私は黙って頷いたけれど、まだ彼女は何も知らないのだ、とわかって恐ろしくなった。

 前の晩、廊下の壁にもたれて、彼女の夫と両親が声を押し殺して泣いていた。慰める若い看護師も目を真っ赤に腫らしていた。マユミさんは呑気に『ドラゴンボールZ』なんか読んでいる。帰ったら何をしようかなんて考えている。ひとり雑音の届かない膜の中で息をしている。橙色の蛹だった。

 彼女の夫は、毎晩小さな女の子を連れて面会に来た。仕事を終え、片道2時間以上かけてやって来る。いつも消灯時間に差し掛かっていたけれど、誰もそれを咎めなかった。枕元の小さな電球が親子を照らす。女の子が声をひそめて「あのね」とお喋りする。保育園に通い始めたばかりだという。お母さんに教えてあげたいことがたくさんあるのだ。くすくす笑う声が聞こえる。ふたりは廊下の照明が落とされる21時になると静かに帰って行く。

 明け方、カーテン越しにマユミさんの気配を感じるとほっとした。大丈夫。彼女はちゃんと今日も生きている。そんな確認を頼まれたわけではないけれど、ふたりに代わって気に掛けるようになった。

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マユミさんとの冒険は不意に始まった

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夫のちんぽが入らない

交際してから約20年、「入らない」女性がこれまでの自分と向き合い、ドライかつユーモア溢れる筆致で綴った“愛と堕落"の半生。“衝撃の実話"が大幅加筆修正のうえ、完全版としてついに書籍化!




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