犬の看取り本などを見るとよく「犬は人間よりずっと早く年を取ります。それをきちんと意識して、最初から老犬になったときのことや亡くなったときの心づもりをしておきましょう」などと書いてあったりします。
写真はイメージです
しかし当時の私にはまったくそんな考えは浮かびませんでした。これからの10年があっという間に過ぎてしまうなんて、とてもとても考えられませんでした。
「名前はどうしよう」
「ハウスはケージがいいんだろうか?」
「迷子札もつくらなくちゃ」
「いちばん最初のお出かけは、どこに行こうか」
私の頭の中の広がっていたのは、「これから一緒に過ごせる楽しい時間」の未来予想図であり、見えていたのは、すくすくと成長し、さまざまな経験を積んでりりしい成犬へと変貌していくだろう姿だけでした。間違っても、自分より先に老いて、自分を置いて虹の橋を渡ってしまう姿など想像できませんでした。
何しろ目の前にいるのは生まれたての、生命力いっぱいの子犬です。何にでもじゃれ、元気に走り回り、あどけない表情を見せるその子犬に「老いた姿」を重ねること。それは私には、かなり難しいことでした。
もともと人は「認めたくない現実」をなかなか受け入れられません。いえ、「
『こうあって欲しいという願い』を『現実のはずだ』と思い込みたがる」と言ったほうが正確でしょうか。
バカだと笑われそうですが、私が「ケフィは私よりも早く逝ってしまうこと」をようやく意識し始めたのは、それから10年以上経ってからでした。
<TEXT/木附千晶>
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【木附千晶プロフィール】
臨床心理士。IFF CIAP相談室セラピスト。子どもの権利条約日本(CRC日本)『子どもの権利モニター』編集長。共著書に『子どもの力を伸ばす 子どもの権利条約ハンドブック』など、著書に『
迷子のミーちゃん 地域猫と商店街再生のものがたり』など