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ペットの死は、なぜ心を病むほどつらいのか|ペットロス Vol.3

いつも私を探していたケフィ

 ケフィは、まさにその典型でした。  ノーリードで遊べる場所では、いつも私がどこにいるのかを確認し、けっして20メートル以上は離れないようにしていました。万が一見失ったら大変! キリンのように首を長くして、そこら中を走り回って捜すのです。ドッグランにも一人(匹)では一刻たりともいられず、私の姿を必死で追い、どうにかしてドッグランのフェンスを越えてこっちに来ようと大奮闘。
寝ころぶケフィ

いつも私を探していたケフィ

 ガラス張りの電話ボックスの中にいる私を見つけたケフィが、二足立ちでボックスをドンドン叩いたと思ったら、わずかな隙間からどうにかして中に入ろうとがんばっていた姿も昨日のことのようです。  郵便局に連れて行ったときには、外階段の手すりにつないでいたリードが外れた隙に自動ドアから入ってきて、窓口で話していた私に後ろから抱きついた事件もありました。私が悲鳴を上げたのを見て全員が大爆笑! 顔から火が出る思いでした。

“永遠の幼子”が逝ってしまう現実

 私が世話をしてあげなければ生命の維持さえ難しく、だれよりも私を必要としてくれるケフィ。いつでも私を探し、一時も離れまいと寄り添ってくれるケフィ。私と一緒であればどんなところでも安心していたケフィ。  そんなケフィは私にとってまさに娘でした。それも、いつまでたっても成長することがない、ずっと私を頼り続ける“永遠の幼子”のような存在だったのです。
犬と猫

写真はイメージです

 ところが実際のケフィは、いつのまにか私の年を追い越していました。私よりうんとあとに生まれたケフィは、現実にはすっかりおばあちゃんになっていたのです。私にとっては、私の心のなかでは、いつも、いつまでも子どものような存在だったケフィが私より先に逝ってしまう・・・。それは本当に想像もつかないことでした。  ペットロスが大きなダメージとなるのは、“永遠の幼子”が突然、「実は年を取っている」事実を突きつけられ、瞬く間に消えていく命の火と向き合わざるを得ないからなのかもしれません。それはまるで玉手箱を開けた浦島太郎のような気持ちです。夢のようだった毎日が、ある日、急に終わりを告げ、現実を突きつけられるのです。 <TEXT/木附千晶> ⇒この記者は他にこのような記事を書いています【過去記事の一覧】 【木附千晶プロフィール】 臨床心理士。IFF CIAP相談室セラピスト。子どもの権利条約日本(CRC日本)『子どもの権利モニター』編集長。共著書に『子どもの力を伸ばす 子どもの権利条約ハンドブック』など、著書に『迷子のミーちゃん 地域猫と商店街再生のものがたり』など
木附千晶
臨床心理士。「CAFIC(ケフィック) 子ども・おとな・家族の総合相談 池袋カウンセリングルーム」主宰。子どもの権利条約日本(CRC日本)『子どもの権利モニター』編集長。共著書に『子どもの力を伸ばす 子どもの権利条約ハンドブック』など。著書に『迷子のミーちゃん 地域猫と商店街再生のものがたり』、『いつかくるペットの死にどう向き合うか』など。
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