帰宅し、玄関を開けると、長座布団に横になったケフィと目が合いました。いつも通り、私に駆け寄ろうと手足を動かしますが
「力が入らない」という感じで、首を上げるのがせいいっぱいのようでした。
そばに行って頭をなでると、嬉しそうに目を細め、しっぽを左右に勢いよく振りました。前足をぱたぱたさせながら私の手をなめ、体を預けて「お帰りなさい」のあいさつをしようとするのに、うまくできないケフィの戸惑いが伝わってきました。
「気持ちはあるのに、どうして立ち上がることができないの?」
自分の体に何が起こったのか分からず、
現実を受け入れられないでいるケフィ。それは、私が、「ケフィが倒れた」という現実を受け入れられないでいるのと同じでした。私も家族もケフィも、とにかく動揺していました。

元気なころのケフィ
時計を見るとすでに夜12時を回り、動物病院はとうに閉まっています。インターネットで症状のキーワードを入れて検索しても、いっこうに何の病気かわかりません。もし、分かったとしても私たち家族にできることなど、たかがしれています。
「今日のところはもう寝て、朝をまとう。朝になったら、いちばんで病院に連れて行こう」と言う家族の意見で、みんな床につくことにしました。
ケフィのまわりには、布団やカーペットを敷き詰め、たとえ長座布団から落ちたてしまっても板の間に転がったりしないようにしました。もし、トイレをしてしまっても、冷たくないよう、子犬の頃に使っていたおねしょシートも敷きました。
その夜、私の眠りはとても浅く、朝は遠く、本当に長い長い夜でした。
<TEXT/木附千晶>
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【木附千晶プロフィール】
臨床心理士。IFF CIAP相談室セラピスト。子どもの権利条約日本(CRC日本)『子どもの権利モニター』編集長。共著書に『子どもの力を伸ばす 子どもの権利条約ハンドブック』など、著書に『
迷子のミーちゃん 地域猫と商店街再生のものがたり』など