Lifestyle

マツコ・デラックスの「ブス発言」から考える、女性にとっての「自然」

「ダルちゃん」の閉塞感に共感する女性たち

 女性が外に出るときに、自然を装うために、自分にとって自然な状態をなくしていることを描いているのが、『ダルちゃん』(資生堂のウェブメディア「花椿」の連載漫画)ではないだろうか。
「花椿」より

「花椿」より http://hanatsubaki.shiseidogroup.jp/comic2/

『ダルちゃん』は、表向きは普通の24歳の派遣社員。実はダルダルにだらしのない“ダルダル星人”なダルちゃんを描いたものだ。この漫画、男性に意見を聞くと、ダルちゃんが、ダルダルした姿になることを、変身とか、異形になるとか、異星人になることと見ている人がほとんどで驚く。  しかし、女性にとって、ダルちゃんが人間のOLになって出勤している時間こそが擬態して異形になっているのであり、ダルちゃんがダルダルになってしまうのは、ダルちゃんが何か違うものに変化(へんげ)したのではなく、あれこそが「自然」のメタファーであることを、なんとなく共有できているのではないだろうか。  なぜ多くの女性にとってあれが本来の、自然の姿に見えるのかといえば、ダルダルした心身をなにかに押し込めたようにして生きている実感があるからではないだろうか。そのなにかとは、華美すぎず自分を表さない服であったり、高くても低くてもいけないヒールだったりもするだろう。激しすぎる感情を身体のなかにとどめているということもあるだろう。とにかく、人をびっくりさせないように、いろんなものを押し込め、人間の女に見えるようになってから、家を出ているという感覚があるからではないか。

「自然」はそれぞれが決めること

 自然が不自然なまでに規定されている状態では、決まった型の自然でいないといけないことは抑圧になってしまう。すると不思議なことに、思いっきり強いメイクをしたり、ナチュラルではないファッションに身を包んだり、高すぎるハイヒールを履くほうが、なぜか開放的で自然な気分になることもある。  なぜならば、押し込めていた自分の感情や自分の考えを、外に解放している気分になれるほうが、自分にとっては自然だからだ。  誰からも「自然」の状態を規定されたくないという気持ちは、世の中にどんどん広がっている。#MeTooだって、声を上げないことが自然とされてきた抑圧状態を脱却したいという、女性たちの個々の自然な欲求が生んだ動きであると感じる。自然は社会が決めるのではなく、個々が決めるものなのだ。 <TEXT/西森路代> 【西森路代 プロフィール】 1972年、愛媛県生まれ。ライター。さまざまな雑誌やウェブメディアでアジア全般のエンターテイメントや女性について執筆。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)、『大人アイドル~プロフェッショナルとしてのV6論』(サイゾー)などがある。
1
2
3
Cxense Recommend widget


あなたにおすすめ