続く第3話では、一転してキナ臭い展開が描かれた。
亜乃音が浜辺で燃やしていた偽札の束を、何らかの裏金だと勘違いした持本舵(阿部サダヲ)と青羽るい子(小林聡美)は印刷所に忍び込むが、そこで鉢合わせしたハリカを娘と思い込み、動転して連れ去ってしまう。しかし、カレーショップに戻った彼らを待っていたのは、改造銃で自分の上司を撃って逃走してきた、舵の幼なじみ・西海(川瀬陽太)だった。
西海は、舵を言いくるめて店のフランチャイズ契約をさせ、経営が傾くと担保にしていた土地を手放すよう追い込んだ張本人だ。彼が「鮭が熊を襲った」と言い間違えても訂正できないくらい、舵は彼に逆らえず、いいように丸め込まれ搾取されている関係である。
だが、「うちの会社で一番の幸せは、終電で帰れる幸せ」と語る西海もまた、ブラック企業に精神の限界まで搾取されていた。彼に「あなた加害者ですよ? なに勝手に被害者になってるんですか?」と説教するるい子の言い分は正しいが、搾取する側も、より大きな構造によって搾取される側に取り込まれているのが、この社会のありようなのだ。
現に、社会に復讐するつもりだった舵とるい子もまた、ハリカを誘拐し、亜乃音を脅すという犯罪に手を染めてしまっている。彼らの監禁劇は、東京03のコントのようにどこか緊張感が足りないし、身代金を巡る亜乃音とるい子のやり取りは、アンジャッシュのコントのように噛み合わない。そこに描かれるのは、加害者と被害者、搾取する者とされる者が主客転倒し、社会からはみ出した同じ“ハズレ”の者同士、奇妙な連帯をしてしまう姿である。
あるいは第3話は、
男たちの自我崩壊の物語と解釈することもできるだろう。
強権的・支配的な態度で、衝動的・暴力的に振る舞う西海は、“男たるもの強くあれ”を内面化した存在だ。自分の感情や人間らしい生活を犠牲にしてでも搾取する側にしがみついていれば、男として何者かになれる。そう信じてきた彼が、自分もまた搾取される側にすぎず、45歳にして何者でもないことに気づいたとき、ポッキリと心折れてしまったことは想像に難くない。
自身の犯した凶行とは裏腹に、銃の改造を夢中で語り、子役の番組に癒され、小動物をこよなく愛する西海の無邪気で幼児的な一面や、「もう生きてる意味がわからないんだよ」「自分なんか消えてしまえばいいってしょっちゅう思う」と自暴自棄になる姿は、“男らしさ”が脆いハリボテ(虚構)であることを示す。
彼が脅しに使うのが、違法改造のため「もうタマが出ないかも知れない」拳銃だというのは、あまりにもシンボリックだ。この回で、かつて舵が無精子症と診断され婚約破棄されたという過去が明かされたのは、決して偶然ではないだろう。男たちは、
“男らしさ”というアイデンティティが幻想だった(=もうタマが出ない)ことに、自分を見失っているのだ。