「現実も虚構も、等しくかけがえない」というメッセージ
第4話では、これまで謎だったるい子の過去が語られる。
るい子は、主役になれない人生を歩んできた。野球選手に憧れて野球部に入ったのにマネージャーにされ、バンドマンになりたくてバンドを組んだのに“バンドマンの彼女”枠として押し倒された。社会人になってからは、どんなに頑張っても出世するのは男性社員ばかり。
「女だから」というだけで、自動的に“ハズレ”に振り分けられてしまう理不尽は、同じ坂元裕二脚本のドラマ『問題のあるレストラン』(’15年)で描かれたことの反復である。
そんなるい子にだけ見える存在として、4話で突如現れたのが、少女の青羽(蒔田彩珠)だ。彼女は、高校時代にるい子が産むはずだった女の子の幽霊であると同時に、彼女が断念せざるを得なかった“もうひとつの人生”の象徴でもあるだろう。
「鼻って、普段気にしてないと全然見えないけど、いったん見えちゃうとやたらと視界に入ってくるでしょ」
るい子は、幽霊が見える感覚がどういうものか、ハリカと舵にこう説明する。“確かに存在するのに、気にしないと見えない”というのは、すなわち、私たちが普段見ようとせずに見落としている、社会からはじき出された人たちのことであり、ハリカや、舵や、るい子や、亜乃音のような人たちのことに他ならない。
家庭での居場所をなくし、自分の子供に愛されないから死んだ子供を愛しているのだと自分を卑下するるい子を、ハリカは次のように諭す。
「なんで幽霊を好きになったらダメなんですか?
なんで死んだら好きになっちゃダメなんですか?
生きてるとか死んでるとか、どっちでもよくないですか?」
まるでこのドラマのエッセンスのような台詞ではないか。1話のレビューで、「行った旅行も思い出になるけど、行かなかった旅行も思い出になる」という『カルテット』の台詞を引用したが、これこそまさにその変奏だ。私たちは、時に現実よりも、ファンタジーや想像力のほうが生きる糧になることがある。見えないものにこそ、より大切な価値が宿ることもある。
このドラマは、「現実とか虚構とか、どっちでもよくないですか?」と、私たちに語りかけているのだ。
<TEXT/福田フクスケ>