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派遣切りされた100人を抱え倒産寸前…女社長を復活させた、高校時代からの「ある記録」

 結婚相談所マリーミーの代表、植草美幸さんには、人生の大きな転機がありました。09年、当時経営していた人材派遣の会社が倒産寸前に追い込まれたのです。
植草美幸

植草美幸さん(結婚相談所マリーミー代表)

 一時は会社をたたもうとしましたが、「このままでは終わらせない!」と踏ん張って起死回生。彼女はどのように苦難を乗り越え、結婚相談所という事業を成長させてきたのでしょう。

アルバイトで上り詰めた末に、起業を決意

「CA(キャビンアテンダンド)の養成スクールに通いながら、百貨店でアパレルの販売員のバイトを始めたら、カリスマ販売員といわれるようになりました。ただこのままだと望むような成長はないと思い、早めに起業しようと決めました」  20代で店長から管理職となり、東京と大阪の50数店舗を総括してマネジメントを行ったという植草さんは、95年に起業します。 アパレル「メーカーと契約して、百貨店の中にある35坪の店舗でアパレルの販売代行業を行いました。起業一年目で10店舗の契約が取れ、すぐ6億円の売り上げが出て、2年目には10億円を超えました。  ところが順風満帆(じゅんぷうまんぱん)だった事業は、リーマンショック前から少し陰りを帯びてきたのです」  08年頃のアパレル業界は、ユニクロがパワフルで、アウトレットの登場やZARAなどの海外ブランドの勢力も急上昇中だったため、百貨店の売り上げが減少していました。そこで植草さんは、大手アパレル企業へ人材を紹介する事業に切り替えました。  ところが09年リーマンショックが起こると、派遣切りが多発。植草さんの会社の派遣社員も100人以上切られてしまったのです。

社員たちを救うため、あちこちに頭を下げる日々

「対策を講じるために、社員一人一人へ今後についてインタビューしたところ、  ①仕事をやめて夫に養ってもらう  ②大好きなアパレルを週2~3という時短でやり、夜はキャバクラで働くWワーク  ③田舎に帰る  という選択をそれぞれ考えているようでした。その時に痛感したのが、独身で実家にも帰れない社員は、是が非でも生活費の工面をしなくてはいけないという現実。そこで私は各メーカーに頭を下げて、何が何でも働かねばならない社員20~30人をメーカーの社員として雇ってもらったのです」 転機 社員が激減する辛い現実に、「会社をやめよう」と追い込まれますが、「踏ん張って、一からやり直そう」と決意します。一体何が起こったのでしょう。
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人材会社の立て直し…ではなくまさかの展開!
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