「もうすぐ30歳になると考えた時、芝居、これでいいのか?って自問しちゃったんです。このまま子供が生まれて家庭のパパになり、僕は息子に
『パパは昔、プロの役者だったんだぞ』と自慢する……。そのことにすごく敗北感を抱いてしまった。そんなのは絶対に嫌だ、またちゃんと芝居をやろうと思いました」
吉村さんは休んでいた演劇活動を本格的に再開。まだ舞台に立っている役者仲間や劇団関係者に声をかけ、今度はサラリーマンと二足のわらじを履いて舞台に立たせてもらえるようになった。幸い職場の上司には理解があり、勤務時間の融通はきいた。かつての役者仲間も、吉村さんの復帰を歓迎してくれた。
しかし、ひとりだけ不満を持つ者がいた。奈美さんである。

「僕は“アスペっぽい”だけに猪突猛進型ですから、一度役者モードにスイッチが入っちゃうと、他のことが一切目に入らなくなってしまうんです。
産前産後の奈美のケアも、子供の世話も、まったくやりませんでした。
奈美は僕の役者活動を好ましいものと思ってくれていたし、口に出して言ってくれていましたが、そのことと、現実の生活で僕が夫や父の役割を果たしていないのは、別問題です。奈美の不満はどんどん溜まっていきましたが、僕はどうしても役者スイッチをオフにできませんでした」
こうして、夫婦間の会話はみるみる減っていった。
“できちゃった婚的なヤンキー”はちゃんと親になっている
「ジョイ・ディヴィジョン(筆者注:1976~80年に活動したイギリスのパンクバンド)は、ボーカルのイアン・カーティスが首吊り自殺したことで知られています。彼は娘が生まれた時、
『怖くて抱っこできない』と言っていたそうですけど、僕、それがすごくよくわかるんですよ。
赤ちゃんって、壊す気がないのに、壊れちゃう生き物じゃないですか。だから僕も、
生まれたばかりの息子を積極的に抱っこできなかった。怖くて、です。それが、奈美にとっては愛情の薄さに見えた」

吉村さんは「赤ちゃんが壊れそうだから抱っこできない」という感覚が、自身が「アスペっぽい」ことに関連しているのではないか――といった意味の言葉を口にした。そこに因果関係があるかは不明だが、吉村さんが度がすぎるほど生真面目で、一度そうと思い込んだらなかなか自分のルールを変えられない人間であるのは、話しぶりからも伝わってくる。
結局、息子さんが2歳になる頃、ふたりは別居に踏み切る。奈美さんは両親の家の近く、東京都下の某所にアパートを借り、母親の手を借りて育児と会社勤め。一方の吉村さんは23区内のマンションでひとり暮らしをスタートした。
「別居中、週末にひとりで駅前に出ると、明らかに“できちゃった婚”ぽい20歳そこそこの夫婦が、ベビーカーを押してショッピングモールを歩いてるんですよ。
正直、それまでの僕は、“できちゃった婚的なヤンキー”のことを“下の人間”としてバカにしていたんですが……」

吉村さんは若いベビーカー夫婦の姿を見て、「金槌で頭を殴られたような気分になった」という。
「
彼らは自分の身に降りかかってきたことから逃げ出してない。気持ちいいからって生でやって子供ができちゃった――といった、偶発的だけどこの先の人生を決定づけてしまう物事を、ちゃんと引き受けて親になった。僕みたいに、いい年して自己実現とか芝居とか言って、責任から逃れようとしていない。
ああ、僕ができなかったのはこれだったんだ、と」