Vol.5 「できちゃった婚のヤンキーは偉い」妻と子より夢を選んだ男性が離婚して思うこと
【ぼくたちの離婚 Vol.5 それでも「父親」を放棄できなかった】
「僕、たまに人からアスペっぽいって言われるんですよ」
センターパートで分けたパーマ頭に丸メガネ。ラーメンズの片桐仁にヒゲをたくわえたような容貌の吉村健一さん(仮名/38歳)は、そう語った。
アスペ、アスペルガー症候群。発達障害のひとつで、現在では「自閉症スペクトラム障害」という診断名が用いられている。「他人の気持ちを推し量るのが苦手」「生活や仕事をするうえで自分が決めたルールにこだわり、それ以外のルールを強いられると激しいストレスを感じる」といった症状が、一般的に知られている。
「僕、人から相談事をされると、超理論的にアドバイスして嫌がられるんですよ。相手は単に同意を求めてるだけだと頭ではわかってるんですが、意味もなく相槌を打つのがむちゃくちゃ苦痛で。論理的じゃないことが耐えがたいんです!」
吉村さんは音響会社に勤める音響エンジニア。学生時代に趣味でバンドをやりながら楽器店でバイトし、ライブ会場に通ったり、さまざまな楽器に触れたりすることで、この職に就くこととなった。しかし吉村さんにはもうひとつの顔がある。都内の小劇場を中心に活動する役者でもあるのだ。
「高校時代に観た小劇場の舞台に感動して、大学時代は学生演劇にかなり真剣に取り組みました。その頃からサラリーマンになる気はまったくなかったですね。大学卒業後は、つてのある劇団に入って芝居一本でいきたかったんですが、親の勧めで大学院に行くことになりました。こう見えて、勉強はできるんですよ(笑)」
大学名と大学院名を聞いて驚いた。いずれも日本では偏差値で上から5本の指に入るであろう学校である。大学院に進学した吉村さんは引き続き精力的な演劇活動を続け、在学中に中堅芸能事務所に所属することになる。晴れてのプロデビューだ。
「ただ、事務所に所属したはいいですが、そんなに甘いものじゃなかった。一応プロとして舞台に立ったり、TVドラマの端役として出演したりもしましたが、全然、食っていける気配がないんです」
結局、吉村さんは大学院を2年休学して合計4年間在籍したが、4年目には役者業に見切りをつけ、就職へと舵を切る。舞台のPAスタッフとして経験値があったこと、楽器店のコネクションなどから、音響会社への就職が決まった。26歳の時である。
「当時、大学時代から付き合っていた、同い年の奈美(仮名)という彼女がいました。僕が学生演劇で舞台に立っていた時のお客さんです。奈美自身はそこまで演劇好きではないんですが、演劇好きの友達に付き合って何度か公演を観に来てくれていました。ある公演の打ち上げに彼女がその友達と一緒に顔を出したことがきっかけで、付き合い始めたんです」
奈美さんは大学卒業後、雑貨・衣料・家具などを手がける大手小売の店舗スタッフとして就職。吉村さんの役者活動を応援しながら交際は続き、吉村さんの就職を期に同棲をスタート。その2年後に入籍する。吉村さんと奈美さん、ともに28歳の時だ。
「入籍の理由は、奈美が強く子供を望んでいたことでした。僕はそれほど結婚願望も子供願望もなかったのですが、奈美は僕が役者と学生の二足のわらじを履いている間もずっと応援してくれていたし……、情がわいたんでしょうね。奈美の期待に応えてやりたくて、結婚にも子づくりにも応じた。でも、それが間違いでした」
ほどなくして奈美さんは男の子を妊娠する。吉村さんの音響エンジニアの仕事も順調。しかし、吉村さんには満たされないものがあった。

役者デビューするも夢を断念
結婚も子供も、相手の期待に応えたかった
