親からの性的虐待…壮絶な過去を持つ内田春菊が、いま「母」として思うこと
―内田春菊さんインタビュー Vol.2―
25年前に発表した衝撃作、実母の魔の手によって、育ての父から性的虐待を受けていた過去を明かした自伝的長編小説『ファザーファッカー』(文藝春秋)を、母親目線で綴りなおした『ダンシング・マザー』(同)の作者・内田春菊さんに、本作品や性的虐待について思うことを3回に渡ってお聞きするインタビュー。
前回は、執筆の裏側や母親との関係性について伺いました。2回目の今回は、少女期の壮絶な体験がその後の人生にどう影響したのかについて聞いていきます。
――前回、「母は私より『私のお金』が好きなんだ」と気づいて絶縁したとのことでしたが、母親の偏った愛情が何かに影響を与えたりしましたか?
内田春菊さん(以下、内田)「恋愛ですね。恋人とも、『私より私のお金が好きになっているとしか思えないことが起きて別れる』みたいなことを繰り返していました。私の受け取り方がいけないのかもしれないけど、別れ際に引き留められても、母や妹のことが浮かんで、『それってお金を引き留めているんじゃないの?』って思えてしまうんです。
そんなことを繰り返しているうちに、恋愛自体を辞めようとの思いに至り、2、3年ほど前に恋愛を辞めました。そのとき出家も考えたのですが、宗教に興味がないので断念。それで『恋愛を辞めました』という言い方しかできないから、周りからは『またまたぁ』って言われちゃうんですけどね(笑)」
――『ファザーファッカー』や『ダンシング・マザー』で書かれていた時期の環境や体験なども、恋愛や結婚に影響しましたか?
内田「ものすごく影響していると思いますよ。妾(めかけ)の家で傍若無人に振る舞う男が育ての父親で、その男の言いなりになっている女が母親という家庭が私のデフォルトだから、夫婦仲がおかしいことも、妻のほかに女性がいることも普通だと思って大きくなってしまいましたからね。これはマズかったと思います。
それに、母親との関係性もおかしかったから、誰かに『お母さんと揉めてる』とか相談されても、自分の物差しで考えると“仲のいい親子”がわからなくて、非常に酷いことを言っていたかもしれないです。今は夫婦や親子に対する感覚がだいぶ普通になってきたし、酷い話への耐性もあるおかげで、壮絶な話を聞いても引かないし、『あなたは悪くない』って言ってあげられるようになりましたけどね。そのせいか、いろいろな人からよく相談されて、作家としてのデータもどんどん貯まっています(笑)」
――今振り返って、当時の母親に対して思うことはありますか?
内田「もし仲良くできていたら、もっとダンスを教えてほしかったですね。1回だけ教えてもらったことがあるのですが、あるとき育ての父が母に対して『お前はダンスなんか踊りやがって』『ホステスなんかしやがって』というモードに変わり、『子どもたちにダンスなんて教えるなよ』って言って、それっきりになってしまったので。
母はね、何でもできる人だったんです。だから、時代背景はあるにしろ、そんなに才能があるなら、自分で稼いで暮らしてほしかったと思います。でも、私も含め、みんなパートナーには洗脳されるのかもしれませんね。別れた後に『あんなこともこんなことも言われた』『好き勝手しやがってあの男』っていう思いが残るのは、付き合っているときに相手の悪いところは見ないようにしていたってことでしょうから。だからって、実際に自分の娘とヤらせるようなことは、あってほしくないですけどね」
妻のほかにオンナがいるのが“当たり前”だと思っていた
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