以前にも書きましたが、15歳を過ぎたケフィにとっては全身麻酔そのものが大きなリスクです。
全身麻酔が、ケフィの命を縮めてしまうこともあり得ます。そう考えると、怖くてそう易々(やすやす)とは決断できません。

猫のタリとお話中のケフィ
「
もう十分生きたのでは?」
「
これ以上、負担をかけさせず静かに余生を見守ってあげたら?」
そんな声も聞こえてきます。家族の間でも意見が割れました。担当獣医師は「ご家族で合意ができないようであれば、全身麻酔での検査はお勧めしません」ときっぱり。ひとまず1週間の猶予(ゆうよ)をもらい、その間、私は藁にもすがる思いでインターネット検索を続けました。
どこを見ても、何を読んでも「高齢犬はリスクが高い」と口をそろえたような書き込みばかり。しかしそのなかに勇気をもらえる書き込みを一件だけ見つけました。
「
うちのコは15歳で全身麻酔をして大手術をしましたが、今は元気です。手術をして良かったと思っています。『高齢だから』と決めつけず、そのコの状態を見て、獣医師さんと十分に相談して決めた方がよいです」
この書き込みを見つけたとき、私がどれほど救われたような気持ちになったことか。あのときの、胸のつかえが取れ、全身が緩んで温かいものが体を巡り始めた感覚を今も思い出すことができます。

2016年5月 前足の付け根をなめないようにエリザベスカラーを装着
おそらく私は、「大丈夫だよ」という言葉を待っていたのです。「
きちんと検査をして、ちゃんと治療をすれば、ケフィはまだまだあなたの側にいられるよ」と、だれかに約束して欲しかったのです。だからあんなにも必死になって検索を続けたのだと思います。
当時の私は、もちろんそんな自分の本音には気づいていませんでした。その頃の心境を、ブログでこうつづっていたくらいです。
「『もしかしたら、もっと元気に、人生を楽しみながら最期を迎えることができるかもしれない』という思いが捨てきれなかった」
当時のブログに書いた「ケフィのため」という思いがゼロだったとは言いません。でも、今振り返れば、「全身麻酔をして、検査をしよう」と決断したいちばんの理由は、間違いなく「自分のため」でした。
ケフィのいない人生を生きて行くなんて想像もできなかった私は、一縷(いちる)の望みにかけたのです。
<文/木附千晶>
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