状況に押し流される。それはどういうことか。
「典子に交際をアプローチしたのも、デートで行く場所や観る映画を毎回提案したのも、同棲話を持ちかけたのも、結婚を申し込んだのも、全部僕でした。
自分で言うのもなんですが、僕はわりと押しが強くて、相手をロジカルに詰めるタイプなので、彼女が反論する理由を漏れなく潰していった。その結果、
彼女はすべてを承諾せざるをえなかったのかもしれないなと。いま振り返ると、そんなふうにも思えるんです」
驚くべきことに、木島さんが典子さんとの間には、交際から不倫が発覚するまでの約7年間、1度もケンカがなかったという。
「典子は、
自分の我を通すために積極的に行動するということがないんです。誰かと意見衝突して揉めるなんてことが、そもそも起こらない。休みの日に行く場所や観たい映画や食べたいもので意見がぶつかることも、まったくなかったです」
仕事面にも彼女の資質は現れていた。ただし、ネガティブな意味で。
「大学時代、典子は広告代理店のコピーライター志望だったんですが、就職活動では希望が通らず、代理店ではあっても営業職で就職したんです。入社後しばらくして、典子が仕事内容について僕に愚痴を言ってきました。だから僕は『コピーライターの仕事にこだわったほうがいいんじゃないのかな』と言って、社内異動のためにできることはないか、転職を考えてみてはどうだろう、などと色々提案してみたんです。
でも典子は一向に動こうとしない。
生活・人生の全般において、多少の不満があっても自分から環境を変えようとはしない。そういう人なんですよ」
プロポーズや結婚式の時もそうだった。
「何かの記念日にちょっといいレストランでプロポーズしたんですが、僕の申し出に対して典子は、驚くでも、歓喜するでも、感動して涙を浮かべるでもなく、
わりとそっけなく『うん』とだけ応答しました。
結婚式のウエディングドレスを決める時も、全然こだわりがなかったですね。彼女の実家のお母さんが、共済会で安く借りられるからと勧めてきたドレスが異常に安っぽくて僕は辟易したんですが、典子はそれでいい、と。びっくりしました」
すべてにおいて、異常なほど受け身姿勢の典子さん。しかし、と木島さんは言う。
「こうやって話すと、あらゆる局面で僕や周囲が典子の意思を無視して強引にことを進め、典子が渋々同意していた、典子の人権を無視していた――みたいに聞こえると思うんですが、全然そうじゃないんです。
これ、説明が難しいんですけど……典子は僕に、いや、僕だけじゃなくいろんな人に
『乗り気じゃなさそうだけど、大丈夫かな?』みたいな不安を一切抱かせない、天性の能力を持っているんです。相手にすごく合わせられる。相手の期待に100%応えられて、それでいて相手に罪悪感を抱かせない。そういう能力が卓越してるんです」
自己主張せず、相手の求めには気持ちよく応える。来るものは拒まない。それでいて、相手を背徳的な気分にはさせない。少しずつ、典子さんが不倫に至るヒントが見えてきた。