1ヶ月ほど入院、その後は自宅療養となったが、彼のネガティブな気持ちはなかなか変えることができなかった。
「私は見守ることしかできませんでした。子どもたちにも正直に話して、とにかくおとうさんをみんなで見守ろうと。
うつの回復期には自殺未遂をする人も多いと聞いていたから、子どもたちにもそのことは話しておきました。というのも私が近所のコンビニで働くようになっていたので、子どもたちに夫を見てもらわないといけない時間もあったんです」
夫はゆっくりと回復していった。1年ほどたつうちには「この期間をいい休みだったと言えるようになるかな」とまで言うようになっていた。
「それでふと安心したんですよね、私も。そうしたらその直後に薬を大量に飲んでしまった。救急搬送してまた入院。あのころは私の精神もぼろぼろでした」
写真はイメージです(以下同じ)
だがマイさんは夫を見放さなかった。見放すのは今ではない。そのかわり治ったら離婚してやると日々考えていたという。
「ときどき私に暴言を吐いたりもしていましたからね。病気がそうさせるのだとわかっていても、やはりつらいですよ。『おまえと結婚したから、オレはこんな状態になってしまった』なんて言われていましたから」
それでも気分のいい日は、一緒に散歩をし、「子どもたちがいい子に育ったのはマイのおかげだよ」と言うこともあった。
療養して1年半、ようやく夫が安定してきた。夫自身が自分の気分をコントロールできるようになってきたと実感したのだという。
「結局、夫は自分の弱さを認識したくなかったんでしょうね。こんなはずじゃないという気持ちと戦い続けていたんだと思う。いつでもどこでも先頭を走っていた自分が、完全にレールからはずれて転がり落ちたことを認められなかったんでしょう」
夫はようやく自分と向き合うことができるようになったのだ。
「会社側の体制も変化があったようで、夫は無事に職場復帰できました。関連会社でのそこそこのポストで、夫は復帰初日から明るい顔で帰宅しました」
これで私の役目も終わった。マイさんはそう感じたという。あとは夫とつかず離れずの関係を続け、子どもたちが成人になるのを待つばかりだった。