モラハラのエリート夫がうつ病に…。立ち直った彼が妻に伝えたこと
何らかの事情で一度関係の壊れかけた夫婦でも、思わぬきっかけで再生することがあります。男女関係や不倫事情を長年取材し著書多数のライター・亀山早苗さんが、夫婦の“再生物語”をレポートします。(以下、亀山さんの寄稿)
マイさんが夫のケンスケさん(49歳)と知り合ったのは学生時代。ずっとグループでの友人関係が続いていたが、当時は恋愛感情はまったく抱いていなかった。
「卒業後も彼は有名企業へ、私はベンチャーへとまったく違う道へ進みました。彼は優等生だったんですよ」
卒業して5年たったころ再会、彼はエリートサラリーマンとしてバリバリ働いていた。一方のマイさんは就職して3年で疲弊して転職、自分の道が見えないままだった。
「そのときは彼とふたりきりで話す時間がたっぷりあって、やたら前向きな彼に影響されてもうちょっとがんばってみようと思えた。それをきっかけにつきあうことになったんです」
つきあって2年、彼からプロポーズされた。自分に仕事は向いていない、向く仕事が見つけられないと悶々(もんもん)としていたマイさんにとって、それはある意味で人生を変える転機でもあった。
「結婚して少しゆっくりして、そこからまた自分の人生を見つければいいよと彼が言ってくれたんです。ありがたかった。
今思えば結婚に逃げたんですが、彼はエリートだし経済的にもラクになる。それは魅力でした。当時はリーダーシップがあってやさしい人だと思っていたし」
ところが結婚してみると、彼のリーダーシップは押しつけに形を変えた。働いていないなら家事は完璧にやってねと圧力をかけられ、子どもができると母としてそれはどうかなと疑問を呈された。自分のやっていることすべてがダメだと言われているような気がしたという。
「妻としても母としても落第だと自分でも認めるしかなかった。それでもふたりの子どもとの生活は楽しかった。夫はものすごく居丈高(いたけだか)というわけでもないんですが、何かというとプレッシャーをかけてくるタイプ。気にしないようにしながら、でもなるべく夫の機嫌を損ねないように我慢しながら暮らしていました」
耐えられないほどではない、だが常に夫からのプレッシャーにさらされる日々。中途半端なストレスともやもや感があったという。
結婚して10年でマイホームを取得、子どもたちにも何不自由ない生活を送らせることができたのは夫のおかげだとマイさんは言う。
「これが幸せだと思うようにしていたけど、私は何のためにここにいるのだろうと思うこともありました。
私は夫の収入も知らなかった。毎月夫から渡される生活費の中で食費と雑費をやりくりするだけで、あとはすべて夫が管理していたんです。長女がバレエを習いたいと言うと、夫が一緒に教室へ行って習うかどうか決めてくる。習うことになったら送迎は私なんですが、私には何の決定権もないし夫からの相談もない。
私のことをまったく信用していないんだろうなと思うと、ますます自分がダメ母で無力だと感じるんですよね」
子どもたちが成人したら、自分の存在すら認めてくれない夫とは別れたい。本気でそう思うようになっていった。
ところが3年前、結婚して15年がたったとき、夫が突然会社へ行けなくなった。その前から派閥争いに巻き込まれていたらしく、夫の上司が失脚、それと同時に夫も閑職へと追いやられたのだ。夫は我慢して会社へ行っていたが、とうとう気力が切れた。
「私は何も聞かされていなかったから、具合が悪いなら病院へ行ったほうがいいと言ったんですが、夫はずっと家の中でぼうっとしているだけ。どうしたらいいかわかりませんでした」
夫が会社を休んで4日目、夫の部下から連絡があり、ようやく何が起きたのかがわかった。そのとき彼女の心には複雑な思いが去来したという。
「いっそこのまま夫を見捨ててしまいたいと思う半面、あんなに仕事が好きで輝いていた夫を取り戻させたいとも思いました。いろいろ考えたけど長年、一緒に暮らしてきた情は多少はある。まずは健康になってもらおうと決めたんです」
彼女はその部下に会って詳しく話を聴いた。どうやら会社の医務室にも通っていたらしいので医師にも会い、ある精神科医を紹介してもらった。そして家から出たがらない夫をなだめすかしながら病院へ連れていった。
「うつ病と診断されました。夫は非常に悲観的になっていて。40代半ばになって彼は人生で初めて挫折を味わったようです。ずっと光り輝く道を疾走してきたような人だったから」
離婚寸前までいきながら、人間としてお互いを大切に思うことができるようになった夫婦がいる。夫がどん底に落ちたとき、初めて相手の存在の大きさに気づいたと、マイさん(46歳)は言う。