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「君たちはどう生きるか問題は永遠に」ーー鈴木涼美の連載小説vol.7

 さて、マツイさんのお弁当について私が口にしたのは父母会の席がかなり温まり、すでに余談のような話が出ても良いという雰囲気になってからです。一番目、二番目の議題として出してしまうと、それ自体がすでに批評性を持ってしまうと考えました。そしてあくまで問題視する声があった、というような言い方で話題に出すとすかさず反応してきたのは当のマツイさんの親でも、連絡帳に報告を書いてきた親でもなく、以前チャリティーの日におかずをもたせたい、と相談してきたサトウさんのお母さんだったのです。  テーブルクロスの一件以来、私がサトウさんの連絡帳を通じて、個別に何か特殊な連絡をすることはありませんでした。まさに、サトウさんとサトウさんの母親が一体ではないことが私にははっきりわかっていたからです。私はサトウさんを教育する立場として教壇に立っていますが、サトウさんの親を教育しようとは思いません。サトウさんから見える逸脱の予兆の多くはおそらく彼女のお母さんによるものであって、彼女はむしろそこに小さな抵抗すら感じている、だとしたら私はそこを正すことまではせず、ひたすら彼女が輪を乱すほどの持ち物や行動を見せないよう願っていたわけです。  マツイさんのお弁当については、私はまだそういった答えを出せずにいました。だからうかがうようにこの会の議題にあげたわけですが、サトウさんの親の発言は予想とは少し違うものでした。 「うちの娘も、帰ってきてマツイさんの大きなチキンについて話していました。私としては、そうか二段の弁当箱や箱なしでのお弁当は温める都合上ダメって思っていたけどそんな手があったのかぁと感心したし、しっかり温めたチキンって絶対おいしいと思いましていいアイデアだと思ったんです。今度うちも持たせようかなっていうくらいに。でもうちの娘は、マツイさんが可哀想だったって言ったんです。私、びっくりしてしまいました。クラスの子がまだ誰も持ってきていないお弁当を持ってきて、クラスの話題をさらって、羨ましがられながらチキンにかぶりつくクラスメイトを、お母さんの変なアイデアのせいで注目を浴びて恥ずかしいだろうから可哀想だって」    私はこのチキンの珍事が、当人たちではなく、サトウさん親子にとってひとつのなにかの転機になったことを直感しました。おそらくそれまで、サトウさんの母親は目立ったり人と違ったりすることを推奨するようなところがあり、自分の娘がそれを恐れるのは、先生に怒られるから、或いは単に尻込みしているだけ、と捉えていたのだと思うのです。だからマツイさんのフライドチキンについての娘の見解を聞いて、驚いた、と素直に言ってきたのでしょう。  父母会は結局、クラスメイトの集中力を削ぐほどの珍しい形状のものは、常識の範囲で避ける、暖飯器の時期は例えトレイにぎりぎり入る大きさであっても弁当箱から飛び出すものは避けて、一段のお弁当箱に入るように作る、という方向にゆるゆると意見が収束していきました。マツイさんのお母さんは、娘が家族で食べたフライドチキンをいたく気に入って、毎日でも食べたい、と言うのでつい持たせたくなった、しかし娘もあまりに皆んなに見られたのが気まずかったのか、もう入れないでいいと言っていた、と話し、誰かが意見を曲げることなく、誰かと誰かが激しく衝突することもなく、母親たちは会を解散しました。それはこれまで10回以上繰り返してきた父母会とまったく同じ性格のものでした。  サトウさんのお母さんが、帰って娘にどんな話をしたのかは知りません。でも、彼女の中に、主張というのが必ずしも、主張という形をもったものではない、という気分が芽生えたのであれば、彼女にとっても、娘であるサトウさんにとっても、今後の二人のコミュニケーションを占う、ちょっとした出来事だったに違いないでしょう。自己主張や個性が強い母親のもとに生まれた子供は、強い主張を嫌うことがありますが、それが成熟せずに思春期になると、ひたすら目立たず、人とぶつからず、景色に溶け込むように生きることに労力を使うようになってしまうのです。わかりやすく強い自己主張とは違うかたちで、自分の感性を伝える方法を獲得しない限りは。  来年には、子供たちは私の手を離れ、高学年の担任を受け持つ教員にバトンタッチされます。そこでは我が校の伝統として、半年に一冊、岩波文庫を読み、国語や総合の授業で感想を言い合ったり作文を書いたりするはずです。一冊目がトルストイ、二冊目が吉野源三郎。優等生として生きる生徒、個性的と言われる生徒、母親の主張に辟易とする生徒、それぞれがどのような自分を作り出していくのか、まだほんの小さなころだけで手を離してしまう私のような立場の教員には、なかなか見届けることはできません。 <文/鈴木涼美 撮影/石垣星児 挿絵/山市彩> 【鈴木涼美(すずき・すずみ)】 83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。09年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』(幻冬舎)、『おじさんメモリアル』(小社)など。最新刊『女がそんなことで喜ぶと思うなよ』(集英社)が発売中
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