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「君たちはどう生きるか問題は永遠に」ーー鈴木涼美の連載小説vol.7

「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは自らを饒舌に語るのか』、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』、『おじさんメモリアル』などの著作で知られる鈴木涼美による初の小説『箱入り娘の憂鬱』第7回!

第7回「君たちはどう生きるか問題は永遠に」

 マツイさんがお弁当箱に入らないほど大きいフライドチキンを持ってきて、クラス全員が大騒ぎになったらしい。子供たちも問題視しているようで、お弁当の中身として許される基準を作って欲しい、という抗議に近い報告を、クラスの女子生徒の連絡帳を通じて、とある父兄から受けたのは、すでに生徒たちが3年生に上がり、担任の私が受け持つ期間としては一年をきったその頃でした。  当初は自分の親や仲の良い友達と慎ましく連帯しているだけだった生徒たちも、二年以上ひとつのクラスの中で過ごしていると、日常的に一緒に遊んだり過ごしたりする仲の良さを超えて、大人数でときに団結することを覚えます。ちょっとしたからかいやいじめが発生するのもこのような時期が多く、生徒たちについて大変厄介なのは、優等生であればあるほど自分の信じる正義が万能であるかのような幻想を抱きがちだということなのです。  マツイさん、という生徒はとりたてて反抗的というわけでもなく、かといって正義感の強い優等生との仲間意識があるようなタイプでもない、ちょっと平均より物覚えが悪い、背の高い女生徒です。そして連絡帳に母親の抗議文を載せて渡してきた生徒は、クラスメイトの他人とずれた持ち物や行動を目ざとく指摘し、それを本人ではなく私や自分の母親にいち早く報告する、極めて優等生的なところがあります。彼女自身はというと、成績は中の上、髪型や制服の着こなしは清潔で、多くの生徒がマジックで名前を書いているハンカチや帽子にもきちんとした刺繍で名前を入れており、お弁当は派手すぎず地味すぎない綺麗な色の組み合わせで毎日同じ量のご飯と同じ数のおかずが入っていました。  彼女が問題視したマツイさんのお弁当を、私自身もよく覚えていました。お弁当箱にはピラフと野菜などが入って蓋が閉じられており、その上に銀紙で包んだ大きな骨つきチキンがゴムバンドを二つ使って括り付けてありました。銀紙を開けるとまるで揚げたてのチキンの香りがたち、クリスマスパーティーよろしくそれにかぶりつく姿は、たしかに普段の教室での食事風景の中では異質なものでした。以前、サトウさんのお母さんがチャリティーの日におにぎりだけという決まりはどうか、と相談してきて以来の、お弁当の中身に関するちょっとしたハプニングと言えるような事態です。    6月から9月いっぱいまでの期間をのぞいて、生徒の持ってくるお弁当は朝礼の後にクラス委員が集めて暖飯器に入れることになっています。その期間のお弁当箱は全員プラスチックではなく、アルミ製のものに限定しており、また暖飯器のトレイとトレイの間の高さを考えて二段重ねのものも禁止しています。ですからほとんどの生徒が銀色のシンプルで小さいお弁当箱にお行儀よくおかずとごはんを詰めて持ってきます。  マツイさんのお弁当が話題になったのはまずは朝礼の後、みんなが自分のお弁当箱をクラス委員の持つ回収用のカゴに入れている時でした。アルミのお弁当箱は平べったく、ほとんどすべてが楕円の同じような形をしているため、カゴの中に綺麗に積み重なっていきます。マツイさんが自分のお弁当をカゴにいれると、とある生徒が「これじゃ上に置けないよ」と言いました。するとすでにお弁当箱を預けてその場をはなれようとしている生徒たちも足をとめて戻り、ざわざわと「すごい」「チキン?」と話題にしはじめました。 「じゃあ私も一緒に持っていくね」とマツイさんは一度はカゴに入れたお弁当を手に持って、クラスのざわざわとした空気が止まぬ中、生真面なクラス委員の後について廊下を歩いた先にある暖飯器のところまで一緒に行ったようでした。マツイさんのお母さんがどれだけ意識的だったかはわかりませんが、二段のお弁当箱がギリギリ入らないトレイの上に、チキンの乗ったお弁当箱は綺麗に収まり、結果的にお弁当箱のサイズ的な制限としては問題ないことになったのです。    昼食の時間も、彼女が手に持ってかぶりつくチキンは、お箸でお弁当をつつく生徒たちの注目の的ではありましたが、朝礼の後に一度ざわついたクラスがそれ以上のざわつきを見せることはなく、「いいなぁ」と羨ましがるべきなのか、「変なの」とバカにするべきなのかいまいち測りかねている数名の生徒がちょっとした声を上げたのち、日常は日常に戻り、私もそれについて何か言及することはしませんでした。正直、こういった場合に私が言葉を発するのは結構リスクがあるのです。「騒いではいけません、マツイさんに失礼でしょう」とざわつく生徒の側を牽制すれば、後々ことが荒だって、標準的ではないお弁当を禁止したほうが良いという結論になったときに、あのときに先生はいいと言いました、と言われてしまいます。逆に、クラスをざわつかせるお弁当を持ってきたマツイさんを注意すれば、それが広がりを見せて標準的になった場合に、やはり一貫性のない態度を責められるのです。
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くすぶるフライドチキン問題
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