「君たちはどう生きるか問題は永遠に」ーー鈴木涼美の連載小説vol.7
その日はそれ以上の盛り上がりを見せなかったチキンも、標準から外れたものを糾弾するのが好きな女生徒の手にかかれば、数日を置いて再び議論のテーブルの上に引き戻されてくることがあります。連絡帳を持ってきた女生徒は、彼女なりの正義感をもって、教室の輪を乱す行為としてマツイさんのお弁当を懸念していました。
高校生であれば、学校と父兄が結託して生徒の素行を注意したり、父兄に逆らう生徒の更正を学校が託されたりすることがあります。しかし小学校という、まだまだ人間として数えるには不十分な生徒たちを集めた集合体では、親と生徒は一体のものとして教員に眼差しを向けられるきらいがあります。生徒の問題について親が謝るのは当然視されますが、逆に親の不注意について教員が生徒に小言を言ったり、生徒を通して親を牽制したり、ということも日常的に起こります。
フライドチキンが、マツイさん自身のリクエストによるものなのか、親の勝手な創作意欲によるものなのかはわかりませんが、少なくとも親の協力や意思なくして登場し得ないものです。そのとき、本来私のような担任が注意すべきなのは親と子供がけして一枚岩ではない、という事実なのです。親の勝手で持たされたお弁当を、生徒に責任があるような口調で責め立てれば、生徒は親にも教員にも不信感を抱いたまま、心を閉ざしていくことがあります。マツイさんの性格が、それほど自己主張が激しいタイプとは思えなかったからこそ余計に、私は慎重でした。
幾度となくそのような局面で失敗を重ね、親の行動は直接親に問題提起をしようと心がけるようになった私は、他のクラスよりやや頻度が高い父母会を開くことにしており、連絡帳の一件からちょうど二週間後の父母会で、そのことを軽い議題にしようと考えました。父母会にはほぼすべての生徒の母親が出席するので、マツイさんやマツイさんと仲良しの生徒の親、逆に連絡帳を持ってきた生徒の親やクラス委員の親も居合わせるからです。
父母会の当日、連絡帳に問題を書いた母親は会の始まる30分以上前に学校に到着し、先立って私のところに挨拶に来ました。彼女の娘の優秀賞をとった習字が飾られた教室の後方で、私はそのお母さんと軽い世間話をしながら、遠足のときに寄り道をする生徒がいたという報告や四年生になった際にそれぞれの生徒が入ることになる部活動の選び方に関する相談などを受けました。優等生の生徒の優等生な親の良いところは、とりたてて目立った問題がない時でも、必ず2、3の議題を提げてやってきてくれるところです。中には取るに足らない、せせこましい問題提起もあるのですが、時々、教員の立場では見逃しがちな、かといって看過するにはあまりに繊細で複雑な問題を持ってくることもあります。
ちょうど一年ほど前に、クラスで最もピアノがうまく、成績も良い女生徒の親が、テレビゲームについて議題にしてほしいと言ってきました。テレビに接続し、好みのカセットを購入して遊ぶゲームは男子を中心に急激に人気を得ていますが、家族の方針によっては目が悪くなる、コミュニケーションの妨げになる、などの理由で一切の使用を禁止している家も少なくありません。もちろん、持っている生徒がいるのは仕方ないのですが、誕生日会などで普段より多くの生徒がどこかのおうちに集まる際に、家族の方針が違うもの同士が一緒になり、避けていたテレビゲームを思いっきり楽しんで帰宅することがあるというのです。
学外のことは教員では目が届かないことが多く、父兄に任せがちです。ある時、何故か月曜日に女生徒数人が同時に疲れからくる発熱で早退や欠席をしたことがありますが、そのときも誰かの家で開かれた誕生日パーティーで、かなり遅くまで遊んでいたことが原因でした。学校内のトラブルだけでも手一杯のこちらにとって、放課後のことまで問題にされるのは本音を言えばトゥーマッチではあるのですが、それでも学校での円滑なクラス運営や学業と放課後や休日の家族や友人との付き合いは、生徒の身体を通じて繋がっているので、いちいち報告してくれる親というのは結構ありがたいのです。