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少女漫画界の生きる伝説・山岸凉子、初のトークショー。生の姿を拝んできた

炭鉱資料館でめちゃくちゃ上砂川に詳しくなった

 開演までの時間、少し時間があったので、元上砂川駅と炭鉱資料館に行きました。 マンガ家、山岸凉子先生トークショー 元上砂川駅  上砂川は、炭鉱で栄えた町だそうです。鉄道は廃線になってしまい、今はバスが唯一の交通機関です。残された上砂川駅の駅舎は『昨日、悲別で』というドラマのロケ地として使われた資料館として開放されています。 マンガ家、山岸凉子先生トークショー 炭鉱資料館 炭鉱資料館では上砂川の歴史を紹介するビデオが上映されていました。なんとなく見始めたら上映時間が30分以上もある大作で、めちゃくちゃ上砂川に詳しくなりました。 マンガ家、山岸凉子先生トークショー 炭鉱資料館  炭鉱の立坑跡は、その垂直に長いトンネルを活かし、無重力状態を作る装置が作られて各種実験が行われていたそうで、最近では貯留された地下水の水深を利用して、ハイパーカミオンデ保護レンズの評価試験なども行われたそうです。

いよいよ山岸凉子先生が登場

マンガ家、山岸凉子先生トークショー 定刻になりトークショーが始まると、町長さんの挨拶がありました。うう、お偉いさんの長々しい話を聞くのか……と思いきや「私の話などは短めにして」と、サクッと終わらせ、開会してくれました。なんだかものすごく好感度の高い町です!  進行役の瀧晴巳さんが舞台に上がり挨拶を済ませると、「先生~!」と舞台の袖をのぞき込んで呼んでいて、ちょっとかわいかったです。会場からもドっと笑いが起こっていました。  町外の人の席は後ろのほうだったので、ちゃんとは見えなかったのですが、登場した山岸先生は和装ではなく洋装(なんとなく和装でいらっしゃると思ってた)で、会場は録音・撮影が禁止のため先生のお写真は残念ながらお届けできないのですが、とても若々しくてかわいらしい方でした。ああ……この方の手からあの厩戸王子が生まれたんだ……!  

故郷の町からのトークショー依頼を受けた理由は罪滅ぼし?

マンガ家、山岸凉子先生トークショー 元上砂川駅 山岸先生はまず、なぜトークショーの依頼を受けたのか、という理由をお話しされていました。  1980年代当時、倉本聰さんの脚本による上砂川駅をモデルにしたドラマ「昨日、悲別で」(日本テレビ系列)がヒットしており、それにあわせて町名をドラマと同じ悲別に改名しようという動きの中、山岸先生のもとにもアンケートがあったそうです。その時、悲しく別れるなどという名前は嫌だと思い反対してしまったが、それで本当によかったのかと申し訳なかったと思っていたとのこと。 マンガ家、山岸凉子先生トークショー  元上砂川駅 その罪滅ぼしのような気持ちで引き受けたとおっしゃっていました。なんて純粋でいい方なんでしょうか。そんな方の手から厩戸王子が……。  2歳まで過ごされたという故郷・上砂川の思い出、デビュー当時の様子、大和和紀先生とデビュー前からお知り合いだったこと、手塚治虫先生にマンガ作品を見てもらった話、萩尾望都先生との旅行など、盛りだくさんでした。
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山岸凉子さんが引用したガンジーの名言とは?
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