ケンカというより、志津さんから仲本さんへの一方的な苛立ちが絶えない日々。特に激しい時は志津さんが自室にこもることもあった。
「へそを曲げた志津が、自室に客用布団を持ち込んでこもったこともありました。
原因は、僕がプロジェクトの打ち上げで1泊の慰安旅行に行ったから。僕がプロジェクトリーダーだったので、さすがに行かないわけにいかず、志津を説き伏せて行くには行ったんですが、慰安旅行中ずっとメールが届き続けました。『
楽しそうでなによりね、私はひとり寂しく夕飯です。勝手にどんちゃん騒ぎやってください』とかなんとか。
翌日の夕方に帰宅すると、家は電気もつけずに薄暗く、志津が自室に閉じこもっていました。ノックしても返事がない。何度もノックしたら『はぁ? 何? 寝てるんだけど!』とめちゃくちゃ怒っていて、出てこない」
どうしようもなくなった仲本さんは、自室で悶々としながら志津さんの機嫌が直るのを待った。すると……。
「当時住んでいたマンションは、僕と志津の自室を作り付けの大きな本棚が仕切りとして隔てている変わった構造の3LDKで、それぞれの部屋のドアがリビングにつながっていました。だから本棚から本を取り去ると僕と志津の部屋は筒抜けなんです。
僕が自室にいると、本棚の本が掻き分けられる音がしました。なんだろうと思い、本棚越しにどうしたの? と呼びかけると、
本と本の隙間から、何かドロドロした白い液体が大量に流れ出してきたんです。小麦粉か片栗粉を溶いた液体だったと思いますが……、おぞましさで背筋が凍りました。今でもたまに、あのドロドロの滝は夢に出ます」
志津さんは依然として精神科に定期通院していたが、志津さん自身が“屈辱的”だと感じていた翻訳会社という職場環境が変わらない限り、改善の見込みはない。そう思った仲本さんは、志津さんに何度も休職や転職を勧めるが、取り付く島もなかった。
「
会社を休んだら死ぬと言ってました。二度と復帰できなくなる。そういう人を私は知っていると。
私を廃人にしたいの? とすごまれました」