がんの夫が旅立った日、妻が最後に“思わずかけた言葉”とは
筆跡アナリストで心理カウンセラーの関由佳です。2週間自宅で看護していたがんの夫でしたが、ついに旅立つ日がやってきました。
【夫を自宅で看取ることを覚悟した瞬間】⇒がんの夫と過ごした最後の2週間。交互にくる温かい時間と苦しい時間
その日の前日、夫は大量の血痰を吐き、吸引していた私はみるみる瓶にたまっていく真っ赤な液体を目にしながら「これはただ事ではないのでは……」と不安を感じていました。日曜日だったので、看護師や医師は来ない日。このまま具合が悪くなったらどうしよう、と思いながら日中が過ぎていきました。
夜になり、ぼんやりしている夫の手を見ると、甲にくっきりと骨の影が。「こんなに痩せていたんだ……」と改めて思い、急に胸が苦しくなりました。
私は夫の手を握り、「あと2週間で私の誕生日だけど、それまで生きていてくれる?」と聞くと、夫はそれまでぼんやりしていましたが、ハッと正気を取り戻したような表情になり「うん」とうなずきました。それから私の手をグッと強く握り、指きりをするときのように手を2回振ったのです。
全く確証のない約束だと思いながらも、それでも信じたい気持ちでいっぱいでした。なんとか少しでも生きてほしいという私の希望を、夫は手の力で「わかった」と言ってくれたように感じました。
しかし深夜になり、私がベッドに入ってしばらくすると、なにやら夫の寝ているリビングからガサガサと音が聞こえてきました。
少しうとうとしていたのですが、ハッと目が覚めて夫の元に行ってみると、胸に刺していた痛み止めの針を抜いてしまっていたのです。
「またせん妄(※)か……!」と私は困惑の上に怒りすら覚え、「何してるの!」と怒りながら、深夜3時頃でしたが訪問看護の連絡先に電話を入れることに。すると「朝になったらすぐ医師に行ってもらうから、それまでは粉の痛み止めで対応していてください」とのこと。しかし、夫はもう口から薬を飲むことが難しかったので、どうしたものかと途方に暮れてしまいました。
しかし「痛い」と訴えるので、仕方なく粉の痛み止めをゼリーに混ぜて食べさせることに。ですが、飲み込んだものはすべて痰として吐き出してしまい、薬を飲ませる→痰として出る→痛みが収まらない→薬を飲ませる→痰として出る……を繰り返してしまいます。
結局これを朝まで繰り返し、ほぼ寝ない状態でその日を迎えました。こんなに大変な夜は今までになく、この朝に初めて、私は「この生活、限界だ……」と絶望を覚えたのです。
(※)せん妄とは、突然発症する意識障害の一つです。意識が混濁し、興奮状態になったり、幻覚が見えたりするなどさまざまな症状が出る病態です。
亡くなる前日にした約束

「限界だ…」せん妄による異常行動で眠れない夜
