それにしても、不可解だ。正太さんはナオミさんとは性格が合わず、結婚もしていないのに彼女の実家に金銭的援助までしている。弱みを握られているわけでもなし、一方的に連絡を断てばそれで関係は切れるのに、なぜそうしなかったのか?
「うーん、なんでしょうね。
僕、押しに弱いんですよね(笑)」
正体さんの口からまたも出た、“押しに弱い”という言葉。
「家族はともかく、ナオミがカネ目当てで僕と付き合っていることは、早い段階でわかりました。歳上で普通に働いていて、定収入のある男だったら、誰でもよかったんでしょう。ナオミは釣りなんてもちろん興味ないですし。
それこそ釣り糸をたくさん垂らして、最初に引っかかったのが僕だったんだと思います。ははは(笑)」

ひとしきり笑ったあと、正太さんは表情を戻し、向き直って言った。
「そうでもしないことには、あの家から逃げ出せないと踏んだんでしょうね。あのスラム街みたいな近所と、荒れ放題の家の中を見て、よくわかりました。貧乏ってそういうことなんですよ。ナオミは、早々と結婚して家を出たふたりの姉みたいに、早くここから逃げ出さなければと焦っていました。
ナオミにとって僕は金ヅルでしたけど、自分を家から出してくれる切り札でしたし、おそらく父親代わりでもありました。娘を殴る父親なんてね、ほんと……ありえないですよ。
ナオミの性格は最悪でしたけど、それだって家庭環境のせい。貧乏ってね、そういうことなんですよ」
「貧乏ってそういうこと」と2度も重ねる正太さん。そこで思い出した。正太さんを紹介してくれた女性編集者の言葉を。
「正太、大学2年の時にお父さんがリストラされて、大学の授業料が払えないから大学辞めなきゃいけないかもって言ってきたんです。当時はサークル同期の間で大騒ぎになりました」
しかし取材中、このことは正太さんの口から一切語られなかった。
芽衣ちゃんが「パパー」と正太さんを呼ぶ。トイレに行きたいようだ。正太さんが「ちょっとすみません」と話を中断し、手を引いて連れて行った。パパと手をつないで嬉しくなったのか、機嫌よく小躍りする芽衣ちゃん。戻ってきた正太さんは言った。
「女の子なんでね、何か悪さした時、どこまで強く叱っていいかわからないんですよ。僕、ほっとくと言い過ぎちゃうんで。反省してます」
しかし正太さんが芽衣ちゃんを厳しく叱りつけている場面を、まったく想像できなかった。それほどまでに芽衣ちゃんは正太さんに心を許し、懐いている。
その芽衣ちゃんの命がナオミさんのお腹に宿ったのは、今から6年前のことだ。
「ナオミは最初からずっと、子供が欲しい、欲しいと言っていました。子供を作れば結婚できる。結婚すれば家を出られるからです。ただ、僕はずっと拒んでいて、避妊は絶対に怠りませんでした。
ナオミが母親になるにはさすがに若すぎましたし、関係もうまくいっているとは言えない。だけど、しばらくしたら僕も子供が欲しくなっちゃったんですよ」
その時点でも、まだナオミさんは10代の“少女”だった。
<文/稲田豊史 イラスト/大橋裕之 取材協力/バツイチ会>
※続く#2は、1月16日に配信予定。