アメリカと日本では、ひとり親家庭や、障害がある子・親へのサポート体制が圧倒的に違うという。
「アメリカで出産をして、近くに親戚や頼れる人がいるわけでもないし、最初は心配でした。でも、アメリカはサポート体制や療育(障害のある子の発達支援のこと)が素晴らしくて、不安なく育児ができましたね」

アメリカの療育センターにて
「アメリカでは、IDEA(個別障害者教育法)などの法律があって、障害がある子たちにどういうサービスをするか、法律で決まっているんです。私の場合も、
公的機関に『子どもにダウン症があります』と一本電話をかけたら、すぐケアマネジャーがついてくれました。その人が家に来てくださったり、どういう支援が必要かを考えてくれたり、療育や医師につないでくれたりします。
しかも、並走型のサービスで、生涯付き添ってくれるんです。その時期にあったサービスを提供してくれるので、0歳の段階でもう入る小学校の準備が始まるような状況です。
日本だと、療育を申し込んでから受けられるまで半年から1年待つこともありますが、アメリカはすぐに始まり、2歳の頃は週12時間の療育を無償で受けられました」
また、アメリカだと障害児への療育分野で大学院を出たレベルのプロフェッショナルに療育を受けていた。例えば、体を動かす、言葉を促すなど、発達支援の各分野のプロフェッショナルがいて、その人たちと毎週会え、困りごとを相談できた。
ところが、日本に帰って来たとたん、龍円さんは「これは大変だ!」と悟った。アメリカでは週12時間と十分だと感じるほどの療育を受けていたが、日本では住んでいる地域によっては
月に1時間しかないことを知った。
「
スペシャルニーズのある子どもに関する行政の支援が、日本は30〜40年くらい遅れている」と、龍円さんは語る。日本は、公的医療保険制度などアメリカより手厚い部分もあるが、障害児支援についてはまだまだのようだ。

龍円さんとニコちゃん
また、今の日本では、障害のあるなしにかかわらず、母親が困ったときに頼れる場所が少ない。
「当時、障害がある子どもを持つ親のための情報が、圧倒的に足りていないと感じました。そこで、帰国して何か一歩目をやってみようと、『DS SMILE CLASS』というコミュニティークラスのようなものを試しにやってみたんです。10人くらいで集まっておしゃべりをしたり、『アメリカの療育についてお伝えします』という会をやったり。そうしたら、私の話を聞きに徳島県や神奈川県、青森県や大阪からも来られた方がいたんです。
ありがたかったのですが、それだけ地方には頼れる情報がないということも知りました。だって私、特にダウン症の専門家でもなく、ただアメリカでの経験を話しますというだけの会に、0歳のお子さんを抱えて飛行機に乗ってホテルを予約して参加される方がいるんです。
『初めて安心して話せる場に来ました』とボロボロ泣きながら語る方もいました。
それを見て、東京はまだいい方なんだな、地方はもっと大変なんだと気がついて、何かできないかという思いを深めていきました」