ここまで述べてきたように、『ミッドナイトスワン』『Fukushima 50』は、俳優の演技やスタッフの技術的な功績を評価する以前に、誤解や偏見を広める要素があることは、議論するまでもなく明らかである。もちろん、スタッフとキャストの個々の情熱や仕事には評価できる部分はある。だからといって、権威ある賞を授与してしまえば、偏見をさらに助長させてしまう可能性がある。
今回の日本アカデミー賞で残念だったのは、黒沢清監督の『スパイの妻』が対象外とされたことだ。それは、NHKドラマとして編集されたものが放映されたことが規定にそぐわないと判断されたからだという。しかし、ヴェネチア国際映画祭で監督賞を受賞し、キネマ旬報ベスト・テンでも邦画一位の座に輝いた『スパイの妻』を選考から除外するということは、日本の優れた映画に賞を与える立場にある日本アカデミー賞の存在意義の方が問われるのではないだろうか。
日本アカデミー賞は、いままでも作品選定の傾向から、「大手映画会社の持ち回り」だと揶揄されてきた歴史がある。だからこそ、そのような批判をはねのけるような態度が求められるはずである。同賞が進歩し続ける世界のなかで存在感を発揮し、米アカデミー賞のように国内の映画界を牽引(けんいん)する立場であるためには、選考基準やリテラシーへの取り組みについて、大胆な変革が求められることになるだろう。
<文/小野寺系>
【小野寺系(おのでら・けい)】
映画評論家。多角的な視点から映画作品の本質を読み取り、解りやすく伝えることを目指して、WEB、雑誌などで批評、評論を執筆中。twitter:
@kmovie