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よしながふみ『大奥』「男女逆転」だけではない物語、その影の主役とは

『大奥』は秘密を暴き出す物語

 まず思い出していただきたいのは、1巻の冒頭に掲げられたこの文章である。  大奥に仕える者達はみな次のような誓詞に血判を押さねばならない。 「大奥で見聞きしたる事いかなる事も親兄弟はもとより一切外様へ申すまじき事。」  つまり大奥を物語るこの作品は、本来ならば外部に漏れることがない「秘密」の暴露として幕を開けたのである。そしてこの秘密は大奥のみならず、日本という国家の秘密でもあった。吉宗が憂慮したように、疫病によって男が少ないという事情を諸外国に知られたら、即座に侵略されてしまうからだ。
家光とお万の方。大奥という機構の暴力性と、その中でこそ尊い愛。(C)よしながふみ/白泉社

家光とお万の方。大奥という機構の暴力性と、その中でこそ尊さを増してしまう愛。(C)よしながふみ/白泉社

 そもそも権力に秘密はつきものである。3代将軍・家光とのあいだに子どもができずにいた御中﨟の有功(ありこと)は、それがために新たな御中﨟があてがわれると知ったとき、 「こないにしてまで血を繋げたとしてその後に何が待っているというのです!? そうまでして守らねばならぬ徳川家とはあなたにとって一体何なのですか!!」 と春日局を問い詰めるのだが、彼女は表情も変えずにこう答える。 「それは戦の無い平和な世の事です」  現・家光の父親である本来の家光が赤面疱瘡で死んだときにはその事実を伏し、娘を身代わりとすることで、春日局は体制を維持した。後に身代わりとされた娘は自ら表舞台に登場し、女将軍としての存在を周囲に認めさせるのだが、歴史はやがて、今度は男が政治の実権を握っていた時代を、黒く塗り潰していくだろう。

影の主役は権力

綱吉編。「血」に捕らわれた人々。春日局の本来の目的が徐々に変容し、それ自体が目的となっていく。(C)よしながふみ/白泉社

綱吉編。「血」に捕らわれた人々。春日局の本来の目的が徐々に変容し、それ自体が目的となっていく。(C)よしながふみ/白泉社

 そうして読者が目撃したのは、200年ものあいだ、江戸城で密かに展開された、権力の来し方と行く末の物語であったのだ。本作の影の主役は「権力」であるとも言える。  権力の持つ暴力性と、その一方で権力者たちが抱える苦悩や哀しみは、本作の一貫した主題であり、読みどころだ。そしてそれらがいっそう強く顕れるのは、よしながふみの筆力はもちろんのこと、その主体が女であることも大きく影響しているだろう。  年老いた5代将軍・綱吉は「私は結局この世で何ひとつ後の世に繋ぐことができなかった。善き政を行う事もできず世継ぎを残して徳川の世を盤石にする事もできず…。将軍として女として人に望まれた事は何ひとつできなかった…」と嘆息した。
綱吉の苦しみ。性を利用される存在は、その性が用を為さないとなると、途端に用済みとされる。(C)よしながふみ/白泉社

綱吉の苦しみ。最高権力者でありながら、その性を利用される存在でもある女将軍の苦しみ。(C)よしながふみ/白泉社

 権力を「正しく」行使したかのように見える8代将軍・吉宗ですら、将軍の座につくまでには、側近の久通が密かに多くの人間を殺していた。その事実を知った吉宗は、久通を処分するでもなく、「今までずっとそなた一人が背負ってくれていたのだな……」と涙した。  政治の実権を握り、後継者となる子をなそうとして、女将軍が大車輪で働く一方で、権力の傍流に追いやられた男たちの姿は、ある種の哀切さをもって描かれている。よしなが大奥に枕詞のように付けられる「男女逆転」というキャッチフレーズはやや正確ではない。この物語は単に男女のジェンダーロールを逆転させただけではなく、いかに性が権力のありようを変えていくかを描いているからだ。
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『大奥』が予言していたこととは?
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