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宗教2世の中学生が抱えた“絶望”とは。今だから見たい映画『星の子』が教えてくれること

信じていた相手からの嫌悪感という絶望

 激烈な否定が逆効果を生むと思い知らされる辛い出来事が他にもある。それは、イケメンな数学教師(岡田将生)が、怪しい宗教そのものへの嫌悪感と蔑視をあらわにすることだ。  中学3年生の主人公は、その数学教師に憧れを超えてほとんど恋をしていて、それもある種の「信仰」と言ってもいいほどだった。ノートに似顔絵やプロフィールを綴って、理想的な存在であると「信じて」いる時には、両親のことなどで悩んでいた彼女は救われているのだろうと、大いに伝わってきたのだから。  だからこそ、そう信じていたはずの数学教師から激烈な否定を、しかも2度に渡って別の理由でされた彼女の絶望は、どれほどに深く苦しいものだっただろうか。心から彼女の気持ちをおもんばかってくれる親友の女の子、はたまたちょっとバカなことも言うクラスメイトの男の子の言葉が、彼女を支えてくれたのだが、もしもそうした存在がいなかったら、きっと彼女の心は壊れてしまっただろう。

「信仰」は身近にいる人間や宗教以外にも向けられる

 ノートに描いた数学教師の似顔絵を見かけたクラスメイトの女の子に対して、主人公が「実は先生じゃなくてエドワード・ファーロングという俳優のことを描いている」と申し訳程度の言い訳、というよりも「逃げ道」も用意していることもいじらしく、また哀しかった。  それをもって、身近にいる人間や宗教に対してだけでなく、推し俳優や好きな作品を愛するといったこともまた、信仰に近いのかもしれないとも思い知らされる。怪しい宗教に縁がないという人も、劇中のおじさんや数学教師がしたような(当人は正しいことだと信じている)激烈な否定が、自身の愛するものに向けられたら……と思うと、気が気ではなくなるだろう。  そう考えれば、本作が描いていることの本質は怪しい宗教に限ったことでもない。賛否両論のある作品や人物、もっと言えばあらゆる事象において、異なる見方や価値観への過剰な排他的な言動は、真っ当な議論に至ることもなく、ただ心を傷つけるだけで、その後にも悪い影響を及ぼしていく。劇中で描かれたことを他人事だと、誰が言えるのだろうか。  余談だが、少し前から劇場公開されていた、同じく芦田愛菜主演の『メタモルフォーゼの縁側』は、好きな作品について大っぴら語り合って、それに対して誰も否定をしない優しい世界が築かれた映画だった。ちょうど『星の子』と表裏一体の作品と言えるのかもしれない。 【関連記事】⇒BLを誰も否定しない“優しい世界”…。58歳差の友情を描く『メタモルフォーゼの縁側』
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宗教の複雑さそのものを提示している
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