洋子氏にとって父である岸信介の影響は絶大なものでした。戦犯として刑務所行きを命じられるも、後に公職に復帰し総理大臣にまで上り詰めた父の言葉、立ち居振る舞い、姿こそが、政治家の全てだったのです。

安倍晋三氏の祖父、洋子氏の父である岸 信介 元内閣総理大臣(画像:首相官邸ホームページより)
純粋な尊敬が岸信介の描く日米安保条約や憲法改正の政治思想と結びつき、息子の晋三へと受け継がれていく。ここに単なる親と子の愛を超えた強固な継承が生まれるのですね。
<父は、後になって、国民の皆さんの同意を得て進めるのは理想的な形ではあるが「お国のために、これこそ」というときには、どのように誹謗(ひぼう)されようとも、やる。いずれ分かってもらえる、というようなことを申しておりました。
政治家は、国家のため、信念を持って、命がけで行動するのだということを強く感じました。>(毎日新聞1994年5月1日掲載『[新編戦後政治]/155 女性たちが語る 安倍洋子さん/1』より)
実際、当時は国民からの激しい反対が巻き起こり、安保闘争と呼ばれる学生運動では一人の女子大学生が命を落とす事態にまで発展しました。岸信介総理はもとより、家族にまで危険が及びかねないほどの混乱が生じたのです。
死が差し迫った状況から発せられた発言だと思うと、世襲という言葉にも別の重みを感じないでしょうか。
華麗なる一族の外面を保ちたいがために権力を必要としているのではない。まさに生き死にに関わる問題なのだという業の深さを感じてしまいます。
世襲批判に対し「親を見て育っているのですから、ふさわしい」
同じ毎日新聞のインタビューで世襲批判について反論した言葉にも、青白い炎のような凄みがあります。
<よく、政治家の世襲について批判的におっしゃる方もありますが、子供が本当に国政の場で働くつもりでいますのなら、全く関係のない方よりも、親を見て育っているのですから、ふさわしいと私は思います。「後継者」というのではなく、国会議員としてふさわしいかどうかは、有権者の方に決めていただくのですから、世襲というだけで単純に批判はできないのではないかと思います。>
(毎日新聞 1994年8月7日掲載『[新編戦後政治]/172 女性たちが語る 安倍洋子さん/18』より)
慎重で冷静な言葉遣いながら、決然と突き放すような強さをも感じる発言です。“政治を家業にして何が悪い”どころか、むしろ家業でなければ務まらない職業なのだと考えているようですらあるようです。
もちろんこの発言に反感を覚える人も多いでしょう。是非はさておき、“軽々しく素人が入り込んでくる世界ではない”との断りだと思えば、一応うなずける意見ではあります。