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50歳でリタイア後に歩いて地図を作った伊能忠敬。作った地図がスゴすぎるために起きた悲劇とは

地図の出来があまりによかったため、幕府から「持ち出し禁止令」が

 幕府は最初のころは、伊能忠敬の地図づくりにあまり期待はしていなかったようです。ところが、いざ伊能忠敬が最初に作った蝦夷地の地図を幕府に提出すると、これまでのどの地図よりも正確だったので、幕府の人たちはびっくりします!  そして、「これほどまでにすごい地図を作れるのであれば、ぜひ日本中の地図も作ってくれ!」と伊能忠敬に命令しました。
(画像:千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵「特別大図 八丈島」)文化13(1816)年頃作 縮尺12,000分の1

(画像:千葉県香取市 伊能忠敬記念館所蔵「特別大図 八丈島」)文化13(1816)年頃作 縮尺12,000分の1

 地図が完成する数年前に伊能忠敬自身は亡くなってしまいましたが、最終的に完成した地図はこれまでにないほどに正確な日本地図となりました。  あまりに地図の精度が高いことに驚いた幕府は、今度は「この地図が外国の手に渡ったらまずい。この地図は軍事機密だから絶対に他人に見せてはいけない!」と地図作りに関わったすべての人に命令します。

自分が作った地図のせいで、恩師の息子が処刑されてしまう……

 しかし、伊能忠敬の師匠であった高橋至時の息子で、この地図の完成に大きく貢献した高橋景保は、長崎・出島の医師であるシーボルトから、ヨーロッパの最新資料をもらったときに、そのお返しとしてこっそりこの日本地図の写しを渡してしまいました。  地図をもらったシーボルトが、そのままこっそりと自分の国にその地図を持ち帰ってくれればよかったのですが、何とも運が悪いことに地図を積んだ船が台風で難破してしまいます……。シーボルトの命は助かったものの、そのせいで、船の荷物の中に持ち出し禁止の日本地図があることがバレてしまいます。  そして、地図を渡した高橋景保は逮捕され、牢屋の中で死亡。しかも死体は塩漬けにされて、判決の後に改めて首をはねられるという残酷すぎる扱いを受けました。  ただ、シーボルトはひそかに景保にもらった地図のコピーを作っていたため、帰国した後にその地図を出版。その地図の正確さは、世界でも高く評価されたのです。 【本間希樹(ほんま・まれき)】 国立天文台水沢VLBI観測所所長。1971年、米テキサス州生まれ、横浜育ち。 東京大学大学院理学系研究科天文学専攻博士課程を修了し、博士(理学)の学位を取得。専門は超高分解能電波観測による銀河系天文学。特に銀河系の構造研究と巨大ブラックホールの研究。 <文/女子SPA!編集部 イラスト/オオノマサフミ>
女子SPA!編集部
大人女性のホンネに向き合う!をモットーに日々奮闘しています。メンバーはコチラ。X:@joshispa、Instagram:@joshispa
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