『エルピス』長澤まさみと眞栄田郷敦には“モデル”がいた。佐野Pに聞く傑作の舞台裏
<“落ち目の女子アナ”恵那は、上司の村井から「おばさん」「更年期」と罵倒されたり、取材した冤罪事件のスクープを局長に潰されたりと、組織の被害者に見える。でも一方で、花形キャスター時代に上っ面の報道をしてきたという“加害者”意識に悩んでもいる。
また、村井も単なるセクハラおやじではない、複雑な内面が徐々に明らかになる。>
――繊細な人、空気を読めない人、セクハラおやじ、といった一面的でわかりやすいキャラクターとして配置していないのも特徴ですね。一人一人に多面性があるのも意識したことですか。
佐野:そうですね。「多様性」とよく言いますけど、多様性より「一人の中の多面性」が重要だと思っていて。
例えば恵那は空気を読む人として描かれていますが、1話で職場カラオケから先に帰るシーンがあります。本当に空気を読むキャラなら先には帰らないですよね。
私の一番の友人に台本を3~4話まで読んでもらったことがあるんですが、恵那の行動原理の統一感のなさについて、「最初はよくわからないと思ったけど、佐野だと思えば理解できる」と言われたんです。何かを説明するためのキャラクターとしてじゃなく、身近な私という人間が抱えている矛盾やアンビバレントな部分を映し取ったというと傲慢ですけど……人間は誰しも多面性があるリアルなキャラクターだととらえれば、理解できると言われて、確かにと。
あやさんの書く作品には、「役割だけ」を持った人がいないなと感じるので、そこは大事にしようと思いましたし、自分もそれはドラマ作りで大事にしてきました。
佐野:例えば新聞記者の笹岡まゆみ(池津祥子)は毎回とっ散らかった登場の仕方をするんですが、ああいうシーンはストーリーを追うだけなら別にいらないんですよ。でも、台本の尺が長くてどこかをカットしなきゃいけないとき、情報を伝える部分以外のキャラクターの表現部分をカットしようとすると、あやさんにすごく抵抗されるんですね。「役割のために存在させたくないから、だったら情報のほうをもっと整理して台詞を切ろう」と言う。
そういうところが、あやさんが他の作家さんとは違うところだと思うので、そこを大事に作っていきました。




