日本のゲイ映画としてひとつの到達点、あるいはスタート地点
そしてこの作品のひとつの肝だが、セックスシーンがこれまたリアルだ。
聞けばこの作品は、インティマシー・コレオグラファーが採用されているという。濡れ場を演じる際に俳優を尊重する立場から撮影陣と橋渡し役をするインティマシー・コーディネイターは聞いたことがあるが、コレオグラファー(編集部注:振付家)というからにはゲイセックスをリアルに再現するアドバイスをする役割なのだろう。
お互いの確認が取れたらすぐ、性行為へとなだれ込む性急さ。「タチ」「ウケ」をちゃんと表現した動き。龍太の妙に手練れた細やかな動き。
果たして、ちょっと忠実すぎるくらいの再現度に自分のように居心地悪く思ってしまったのは、先ほどの恋愛と同じくこれまでの自分の様々なセックスを思わず振り返ってしまったからだ。これも誰も必要としない情報で本当に申し訳ない。

見ているうちに、ポルノグラフィでもないのに、ゲイセックスをこんなにちゃんと世の中に提示しても大丈夫なのか? とゲイとして不安に思うくらいである。元秘書官の荒井ちゃんにはちょっと見せられないな、もっと嫌がられちゃうな、なんて。
しかしすぐに、これはおかしな話だと気付いた。ゲイの自分が、他の映画やドラマで男女が普通にベッドシーンを演じているのは、いつも当たり前のものとして何の疑問もなく受け入れているではないか。ゲイ歴55年のクソベテランの私ですらゲイという事実に後ろめたさと恥ずかしさを刷り込まれていることに改めて戦慄するのであった。
今作は、日本のゲイ映画としてはひとつの到達点、あるいはスタート地点になるのは間違いないだろう。
お決まりの『普遍的な愛』に落とし込まずに踏み出す、愛のかたち

しかしながらこの映画の本当にすごいところは、それだけでは終わらないことだった。
話の展開に、原作を知らない多くの人は驚くのではないだろうか。あまりにも過酷すぎる、ドラマすぎる、と。しかしながらこればかりは仕方ない。私も本人から直接うかがったが、事実なのだから。
私は最初に、『同性愛という枠にとどまらない、普遍的な愛のかたち』みたいに落とし込まれたら嫌だ、というようなことを書いた。しかしこの映画は、最終的にゲイ映画から大きくはみ出してすべてを包み込むような、ささやかだが普遍的な愛のかたちへと踏み出していく。

ネタバレになるのでここから先の展開や感想は控えておくが、演技経験がほとんど無い阿川佐和子と逆に大ベテランの名優・柄本明が二人とも素晴らしく(この映画、素晴らしい演者しか出てないな)、そして二人がいうセリフ、特に最初はそんなに重要な役柄とは思えなかった、理解のないノンケでもある父親役の柄本明がつぶやく台詞にこの映画の重要なポイントが隠されていることだけを述べておこう。