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元『PINKY』カリスマモデル(40歳)、「劣等感があった」当時の苦悩と、乗り越えられたワケ

「自分のことがブサイクで仕方なく感じて…」劣等感を抱いていた頃

――モデル活動をしていくなかで、印象的な出来事はありましたか? 木下:ファンの方たちなど、自分の存在を認めてくれたたと感じられる瞬間は嬉しいです。たとえば、タイアップで宣伝していた洋服が完売したり、『PINKY』時代だと、コーデのランキングが読者投票で上位に入ったり。よくも悪くも反応をもらえるので、メンタルは鍛えられた気がします。 ――数字で成果が出ることで、心が折れてしまう人もいそうです。 木下:メンタルの部分を整えなければ、この仕事は続けられないと思います。もちろん努力でなんでも乗り越えていくモデルさんもいますが、努力しても少しずつしか変わらない部分もあるので、いかにメンタルを保つかのほうが重要なのかもしれません。 たとえば、顔を小さくするためにリンパを流したり、きれいにポージングをとるためには体が柔らかくなければいけないと思いストレッチしたり……。オフのときにいかにケアするかが成果につながると思うので、それが継続できるメンタルの強さを持つモデルさんは多いと思います。 ――木下さんはどのような方法でメンタルを保っているのでしょうか? 木下:私の場合は、「運動」が大きかったです。モデルの仕事を始めた当初、体重制限をするようにいわれていました。そのとき、自分のことがブサイクで仕方なく感じていて、ほかのモデルさんと比べるたびに劣等感が高まっていました。逃げたいと思う弱い自分がいて、そこでダイエットと向き合うのではなく、安易なやり方で体重を落とそうとしていたのです。 撮影期間はまったく食べず、その期間が終わるとリバウンドしての繰り返しでした。体調を壊したり、同時にメンタルのバランスも崩れたりするなかで、ライフスタイルに運動を取り入れるやり方を見つけて改善していくことができたんです。

『PINKY』卒業後は仕事の幅を大きく広げた

――『PINKY』時代から、その後のキャリアはどう変化していきましたか? 木下:『PINKY』時代は専属モデルだったので、ほかの雑誌に出られないという縛りがありました。ですが、基本的なモデルとしての部分を学ばせてもらえました。そこから『GLAMOROUS』『sweet』『美人百花』をメインに、ストリート系からきれい系の雑誌まで、いろんなテイストのお仕事をやらせてもらっていました。 ――かなり仕事の幅が広がったのでは? 木下:すごく広がりました。ギャル系雑誌のオファーをいただいたときも、私はやってみたいと思いましたし、幅を広げるという意味では『PINKY』卒業後もチャレンジばかりでした。 ――最近だとブランディングを気にする人も増えていますが、木下さんは系統を1つに絞らずにチャレンジしていたのですね。 木下:当時はSNSの時代ではなかったことも関係していると思います。自分でブランディングして露出することが今ほど簡単なことではなかったので、機会をいただけるときに露出することは、自分にとってのステップアップでもありました。人の手を借りて人に求められてこそ、自分が世に出られるという時代だったのかなと。
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