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青木さやかさんが母との確執を乗り越えられたワケ。「嫌いじゃなくなったのは…」

 シングルマザーとなり、パニック症や肺がんを乗り越え、仕事と両立しながら一人娘の子育てに奮闘してきたタレントの青木さやかさん。2023年2月21日に出版された著書『母が嫌いだったわたしが母になった』(KADOKAWA)では、ずっと嫌いだった母に対する思いや、今年中学2年生になる娘さんの子育てについて振り返っています。
青木さやかさん

青木さやかさん

 母との確執をどう乗り越えたのか、また、娘を授かったときにうまく関係を築くことができるか不安に思っていた青木さんが、これまで娘さんとどう向き合ってきたのかを聞きました。

母が「女」であることが許せなかった

『母が嫌いだったわたしが母になった』(KADOKAWA)

『母が嫌いだったわたしが母になった』(KADOKAWA)

――青木さんは著書で「母を嫌いだった」と書かれています。いつごろからそう感じるようになったのでしょうか? 青木さやかさん(以下、青木):私の両親は2人とも教師で、とても厳しかったんです。母はとても良くできた人で、校長先生にまでなりました。でも私は褒めてもらったことが一度もありません。母は固定観念が強くて、世間体をとても気にするところがありました。子どもの頃は、模範となるような家にいることを嫌だとは、それほど思っていませんでした。 でも高校1年生のときに両親が離婚したことをきっかけに親との関係が悪くなりました。「家族が大切」だと、世間体を重んじることを私に教えていたのに、家庭よりも女性としての幸せを優先して離婚という選択をしたのだと思ったんです。母が、「母親」や「教師」ではなく、1人の「女」であることが、思春期だった私には汚らわしく感じられました。私と母が同性だったからこそ、「気持ち悪い」という感情が強かったのだと思います。 ――そんな青木さんが、お母さんとの確執を乗り越えられたのはなぜだったのでしょうか? 青木:「親と仲良くしたほうがいい」というのは誰でも知っていることですし、私もそれが分かっていながらできない期間が何十年もありました。しかし2019年に母がホスピスに入ることになったとき、私が動物愛護活動を共にしている友人から「親と仲直りする最後のチャンス」「親孝行は道理」だと言われたんです。 私はその頃、離婚後に発症したパニック症、初期の肺がんを患い、仕事が続けられるのか不安がありました。人間関係も上手くいかず、毎日人生が楽しくありませんでした。八方塞がりな人生を変えたくて、母に会いに行くことにしました。 人が新しい考え方を取り入れることは、本当にギリギリの状況にならないとできないのだと思います。「何か変わるんだったら」という気持ちが大きかったので行動に移しました。そうしていなければ、もっと追い詰められていたかもしれないと思います。

母が嫌いではなくなったのは、母が亡くなったとき

青木さやかさん――週に1回ほど、ホスピスにいるお母さんに会いに愛知県へ向かう道中、最初は嫌でたまらなかったと本書に書かれています。青木さんの気持ちに変化があったのはいつごろだったのでしょうか? 青木:母のところに向かっている最中は「母を受け入れられるか」を考える余裕はありませんでした。「好きじゃない」という気持ちのほうが大きかったです。心はなかなか変わらないのだと思います。 「私は今どう思っているのかな?」と考えると「やっぱり嫌いだ」となってしまうので、そこには焦点をあまり当てずに行動に徹していたという感じです。母が嫌いではなくなっていることに気づいたのは、母が亡くなったときだったと思います。 ――どうやって心の変化に気がついたのでしょうか? 青木:母が亡くなって弟と母の話をしていたときに、ふと気づいたら「母のことを考えるのがそんなに嫌じゃない」と思えるようになっていたんです。 それまでは、母のことを思い出すたびに嫌な気持ちになるから「まだダメなんだな」と思っていました。でもそれ以降、この本を書いているときも「母との記憶をたどるのが嫌だ」という感情を思い出すほうが難しくなっていたんです。トラウマのような記憶がただの思い出になり自分でも「変わったんだな」と思いました。 ――変化するきっかけは何だったと思いますか? 青木:母と、特に何か話をしたわけでもないんです。最初は私が母に「いい子じゃなくてごめんね」と謝ったのですが、余命わずかな母が長く会話することはできないので会話はそんなにしていません。「タオルはいるか」とか、「食べ物はどうか」という程度の話しかしませんでした。 でも何度も会いに行く中で、「母は私より弟のほうが好きなんだ」と思っていたのが、そうでもなくて「この人は私のことが好きなんだな」と思うようになりました。「あの会話があったから」という決定的なことがあったわけではなく、会いに行くという行動をしたことで何かが埋まっていった感覚がありました。
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苦手なタイプが目の前に現れるのが人生
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