――ここでもゲーム好きが活きてくるんですね。
加山:子どもが生まれたすぐ後には、ヤクルトレディもやっていました。ヤクルトは保育園も付いている上に保育料も安い。なかなか売り上げが上がらないと言われるエリアの担当だったんですが、ここでも攻略するために乳酸菌や腸内細菌のことについて自分なりにしっかり勉強しました。その成果は歩合制なので、報酬にも反映され、やりがいがありましたね。
――今の介護タクシーの仕事はどうやって見つけたんですか?
加山:佐川をずっとやりたかったんですが、毎日10キロくらい走って配達をしてたら、足の筋を痛めてしまい無念のドクターストップで引退するしかありませんでした。同じタイミングで介護タクシーをやっている方から「台数増やすから、誰か車の2種免許持っている人いない?」と聞かれ、前にタクシードライバーもやっていたので「私持ってますよ」「まじで? 一緒にやろうよ!」で始まりました。
ホームヘルパーの資格を持っていると、利用者さんの乗り降りの介助などもできるので資格も取りました。何が本業で副業だかわからなくなっていますが、イベントも介護タクシーのドライバーもいろいろな人と接することができるので楽しくやってます。

東京ゲーム音楽ショー2023公式サイトより
――もう30年以上イベント企画運営をやっているということですよね。東京ゲーム音楽ショーを始めるきっかけは何ですか?
加山:はじめは「ピコハチ」っていう小さなイベントを年4回のペースでずっとやっていたんですけど、「5周年だから大きな会場でやろう」と、今までのゲスト参加してくれた作曲家の皆さんが言ってくれたんです。そこで100人ぐらいの箱じゃ足りなくなり、大きな会場を借りて、はじめてお祭りのような感じになりました。
――現在は、東京蒲田にある大田区産業プラザPiOで行われていますよね。
加山:最初は晴海客船ターミナルでやっていたんですが、収益が上がった翌年に還元しようと、ディファ有明でやりました。次にディファ有明がなくなるというのでどうしよう……となりまして。そこで「見本市なら東京ビッグサイトだろう」と思って値段を見てみたら、やっぱり高い。「ムリムリ」となった時に見つけた会場が大田区産業プラザPiOでした。
――入場者数が多い年で1700人も入ったということですが、2000人以上人が入っても大丈夫なぐらい大きな会場ですよね?
加山:はい、最近は区役所の人や振興協会の人も視察に来ていたようです。理由は、うちのイベント前日に近辺の宿泊率がバーンと上がったんです。東京から来る方は全体の20~30%ぐらい。東京都外から来てくれてるお客さんが多いイベントです。
――10年間も続けている東京ゲーム音楽ショーでは、大変なこともいろいろとあったんじゃないですか?
加山:新型コロナの影響でお客さんが入らなくて赤字続きだったんですけど「絶対存続させて欲しい」ってみんなからの強い希望もあり「やめるもんか!」って。イベントを続けるために、今年は東京ゲーム音楽ショーの記念アルバムCDも作りました。