
4話より
砂時計のくだりには、続きがある。第5話冒頭、橋の上でみちに向き合う新名が聞く。
「砂時計のどこを見ていましたか?」
新名さん、ほんと質問好きだなぁ。第1話では、資料室で唐突にアインシュタインとモーツァルトについての問答があった。教養があるというか、雑学好きというか。ただこの人には、単に知識をひけらかす嫌味な感じが全然ない。
すぐに応答できないみちに対して、「上の減っていく砂は過去、落ちていく真ん中は現在、下に溜まっていく砂は未来」と解説をし、再び、「どこを見てました?」と聞く。みちが悩みながら、「真ん中」と答えると、新名も喜んで同じだと言う。
岩ちゃんの優しげな表情を見ていると、あぁ、これは間違いなく純愛のひとときが流れ始めたなとジワジワ感じるのだけれど、どうだろう。

5話より
絵画の世界では、横に傾けた砂時計を持っている女性の姿は、砂が流れていかないことから、時間感覚のなさを意味する。
新名に質問され、「ひっくり返してみて」と言われるまでの間、みちは手持ち無沙汰に砂時計を横向きにしている。あるいは、家に帰ってきた彼女が、ひとり部屋で見つめる砂時計は、横向きで箱詰めされている状態。この砂時計を絵画の図像学的な解釈をすると、おそらく同じような意味合いとして読み解くことができる。
ふたりの意見が一致した真ん中は、「現在」を示す。では、彼らの現在とは何か。例えば、こんな感覚はどうだろう。いつまでもぬるま湯に浸かっていたい。そんな時間。ぬるま湯に入っているとき、温度変化がゆるやかで、時間の流れを感じづらい。
お互い激しく求め合う狂おしい不倫が刹那的なせわしなさなのだとすると、新名とみちが共有する時間感覚は、漂うようにまろやかな純愛の現在ということではないだろうか。