
台に乗って、一人で一生懸命料理に励んでいます
そしてもう一つ私が大事にしているのは、真の国語力やコミュニケーション力、理解力を養うために、言葉の世界だけに依存しないことです。
国語=言葉だと考えてしまいがちですが、言葉を起点に想像を膨らませたり、人の気持ちを考えたりすることができなければ、単なる“言葉の勉強家”までしか到達はできないでしょう。
料理は言葉の枠を出た完成形がありますから、そこまでの一連の工程を大切に、さまざまな料理を楽しむようにしています。
そうすることで、言葉を知ることと、それを使って別の表現方法に繋げていくことがセットになり、「知行合一(知識と行為は一体である)」をシミュレーションできるのではないかと思い、楽しく実践を続けています。

料理をしてみると、言葉では書かれていない香りや音、成功や失敗などさまざまな要素が体験できます
最後にもう一つ、言葉の世界だけに捉われなくなった理由は、あるレストランでの体験にありました。東京にあるフランス料理店なのですが、そこでのお品書き(「はまぐり、うめいろ、うずら、みかん、かぬれ」とひらがなで書かれた単語が並んでいるだけ)を見て、運ばれてきた見事な料理を味わい、言葉はすべてを語らないことを実感したのです。

ある日のランチコースのお品書き。どんな料理が出てくるのか、言葉だけではわかりません
言葉よりも大事なのは、そこから広がる想像力と感じる心である。
それを素晴らしい料理を食べることで理解した息子は、言葉の世界が苦しいものではなくなりつつあります。
そして読解テストのような問題を解く姿勢にも主体性が宿っています。もちろんこの先どうなるかはわかりませんが、これからもマイペースに、真の国語力を磨いていこうと考えています。
読んで書いて実行すること。私がお伝えしたいのは、身近な料理からこれらの能力を磨くことは、工夫次第で大いにできるという考え方です。共感いただけるポイントが一つでもあれば、とっても嬉しく思います。
<文/食文化研究家 スギアカツキ>