「僕は障害者の両親のもと育った」19元メンバー・326が子ども支援を続けるルーツを語る
かつて、フォークデュオ“19”のメンバーとして、ビジュアルプロデュースや作詞を手がけていた326ことナカムラミツルさん(@nakamura326)。3rdシングル『すべてへ』を境にして脱退後、現在は、イラストライター、キャラクターデザイナーとして活躍しています。
ボードゲーム制作を中心に本業へ関わる一方、難病で苦しむ子どもたちや、最愛のわが子を亡くした遺族を自主的に支援。独自の世界観を反映した言葉、イラストの数々は多くの人たちに寄り添っていますが、創作活動のルーツとは。生い立ち、力をそそぐ支援活動の背景にある思いを聞きました。
【前編はこちら】⇒「19」元メンバー・326、脱退の真相を明かす。小児がん研究の支援を続ける“現在の姿”とは
幼少期から、何かを創作するのが「好きだった」と振り返る326さん。その背景には共に小児麻痺の影響で身体障害を抱えていた、両親の思いがあったと言います。
「僕の育った環境はいわゆる『障害者家族』で、両親は足が不自由で、二人とも歩けるものの、運動をしたり走るのが困難だったんです。だから当初、僕を産むかどうかすら悩んだとは聞きました。
でも、二人とも『運動がままならない』というコンプレックスがあったからこそ、外で一緒に遊んだり出かけたりできない……その代わりに、部屋の中で楽しめるものをたくさん与えてくれたんです。特に父ちゃんから受けた影響は大きくて、自分の好きな映画や漫画を僕によく見せてくれました」
イラストづくりの楽しさにめざめたのも、ちょうどその頃。父が作ってくれた“お手製の落書き帳”に自分の好きな“キャラクター”を描き続けていました。
「父ちゃんはよく、勤務先の会社で廃棄されるコピー用紙を持ち帰っていたんですよ。『捨てるのはもったいない』と思っていたようで、そこそこ厚めの紙を束ねてから、パンチで空けた穴に紐を通して、ぶ厚い“お手製の落書き帳”を作ってくれました。上の兄は絵を描くのにそこまでハマらなかったんですけど、僕は絵に夢中になってしまって。
当時は小学生で、ジャンプを教科書に生きていた世代なので、大人気だった『キン肉マン』のオリジナル超人や、『ドラゴンクエスト』のオリジナルモンスターを創作して描いてました。けっして裕福とは言えなかったけど、その当時の僕のアソビは今で言う“キャラクターデザイン”の礎になったとは思います」
足が不自由な両親のもとで育った
父の作った“お手製の落書き帳”が創作のルーツに
