楽屋では怒号が飛び交う…若手芸人の“ギラギラ”に疲弊
――ユニットメンバーの関係性はどういう感じだったのですか?
「ガレッジセールさんとシャンプーハットさんは先輩で、僕たちとライセンスが2年後輩。でも、みんなそれぞれ若手で『ここから売れてやる!』と、ギラギラしていました。その中で僕らは完全にタジタジ。それでもやっぱり芸人たるもの『前に出るもの』と思っていたし、僕も芸人をやるからにはやりましたけど、やっぱり疲弊はしましたよね」
――今の芸人さんたちの空気感とは全く違う?
「ぜんぜん違いますよ。劇場でも芸人同士が仲良いことなんてなかったですし。舞台でネタをやって戻って来たら、あからさまに『へぇ~ああいうのが面白いんだ』と言われたこともありましたね。ますます僕はお笑いの世界が怖くなってしまったんです(汗)」
――根本的に!?
「楽屋に行けば怒号が飛び交うし、何かやり合ってるし。当時はみんな売れるのに必死だったというか、そういう時代でしたよね。」
――それでも芸人を続けていたモチベーションはどこにあったのですか?
「そこはもう、仕事があるからやるしかないという気持ちでした。ありがたい話なんですけど、当時は『来週も行かなきゃいけないのか……』って憂鬱で、夜の電車に乗って車窓の外を眺めながら涙を流す事もありました」
――アーティストとして歌の活動を始めたのはいつ頃だったのですか?
「2003年くらいです。ライブの企画で『愛の歌を作ってウーピーゴールドバーグと歌う』という夢を掲げてしまって、それをやることが決定してしまったんです。僕はボケで言ったんですけどね(笑)」
――実際に作詞作曲して自身で歌って。周囲の反応はどうでしたか?
「ぜんぜんですよ。みんな『何しとんねん』って感じで。ライブで披露しても受けるでもない滑るでもない、褒められることもない。事務所に『どうですかね?』と言っても何もならない。それが寂しいなと思って、NHKに自分でCDを送ったんです」
――それが『みんなのうた』で放送された「ぬか漬けのうた」なのですね。
「はい。それでも近しい人たちは『う~ん』と反応はイマイチで。でも、千原ジュニアさんだけが『凄いやん』って褒めてくれたのを記憶しています」