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「番組の“いじり”はイジメだと思ってた」46歳の元吉本芸人が90年代のお笑い業界に思うこと

楽屋では怒号が飛び交う…若手芸人の“ギラギラ”に疲弊

――ユニットメンバーの関係性はどういう感じだったのですか? 「ガレッジセールさんとシャンプーハットさんは先輩で、僕たちとライセンスが2年後輩。でも、みんなそれぞれ若手で『ここから売れてやる!』と、ギラギラしていました。その中で僕らは完全にタジタジ。それでもやっぱり芸人たるもの『前に出るもの』と思っていたし、僕も芸人をやるからにはやりましたけど、やっぱり疲弊はしましたよね」 アップダウン竹森巧さん_前編――今の芸人さんたちの空気感とは全く違う? 「ぜんぜん違いますよ。劇場でも芸人同士が仲良いことなんてなかったですし。舞台でネタをやって戻って来たら、あからさまに『へぇ~ああいうのが面白いんだ』と言われたこともありましたね。ますます僕はお笑いの世界が怖くなってしまったんです(汗)」 ――根本的に!? 「楽屋に行けば怒号が飛び交うし、何かやり合ってるし。当時はみんな売れるのに必死だったというか、そういう時代でしたよね。」 ――それでも芸人を続けていたモチベーションはどこにあったのですか? 「そこはもう、仕事があるからやるしかないという気持ちでした。ありがたい話なんですけど、当時は『来週も行かなきゃいけないのか……』って憂鬱で、夜の電車に乗って車窓の外を眺めながら涙を流す事もありました」

歌の才能が開花。『みんなのうた』が転機に

――アーティストとして歌の活動を始めたのはいつ頃だったのですか? 「2003年くらいです。ライブの企画で『愛の歌を作ってウーピーゴールドバーグと歌う』という夢を掲げてしまって、それをやることが決定してしまったんです。僕はボケで言ったんですけどね(笑)」 ――実際に作詞作曲して自身で歌って。周囲の反応はどうでしたか? 「ぜんぜんですよ。みんな『何しとんねん』って感じで。ライブで披露しても受けるでもない滑るでもない、褒められることもない。事務所に『どうですかね?』と言っても何もならない。それが寂しいなと思って、NHKに自分でCDを送ったんです」 ――それが『みんなのうた』で放送された「ぬか漬けのうた」なのですね。 「はい。それでも近しい人たちは『う~ん』と反応はイマイチで。でも、千原ジュニアさんだけが『凄いやん』って褒めてくれたのを記憶しています」
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心の声をダイレクトに表現できる「歌」に惹かれた
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