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「子どもがかわいそう」「障害者が子どもを産むな」…37歳で想定外に妊娠した私が“批判的なコメント”に思うこと

必ずしも子どもに障害が遺伝するわけではない

妊娠36週の筆者

現在(妊娠36週)の筆者

 発達障害は遺伝することもあるが、逆に健常者から発達障害の子どもが生まれることもある。必ずしも遺伝するとは限らないので「発達障害の親からは発達障害の子どもが生まれる。だからかわいそうだ」という意見には少し懐疑的だ。  もし私のお腹の子に発達障害が遺伝したとしても、早期発見、早期療育に繋げて生きづらさを減らせればと思っている。  今は療育というものがある。私が子どもの頃は、ようやく自閉症が知られ始めた頃で療育はもちろんのこと、発達障害という概念すらまだ一般的ではなかった。発達障害の特性がある子どもは障害ではなく「問題児」として扱われていたほどだ。  小学生の頃授業中に教室をウロウロ歩き回っていた子、高学年になっても簡単な漢字の読み書きができなかった子の多くは発達障害だったのではないかと今になって思う。  まだ体罰が許されていた時代だったので、そういう子たちは教師から頭を叩かれたり1日中正座をさせられたりしていた。障害のせいでできないことを頭ごなしに叱られていたので、そりゃ子どもの自己肯定感は下がるし勉強も好きではなくなる。  私も算数LDのせいで小3あたりから算数の授業についていけなくなった。でも、他の教科はできていたのでただ単に算数が苦手なだけだと思っていた。教育熱心なほうだった親は私に算数のドリルを何時間もやらせ、できないと怒鳴りつけた。泣きながらドリルをやるも、できなくて怒鳴られる。その怒鳴り声が怖くて余計集中できなくなった。  やがて算数の学習に取り掛かろうとすると脳が拒否をする感覚に襲われるようになった。算数の授業を受けたくないあまり、学校に行きたくなくてわざと風邪をひいて休もうと冬の寒い夜に縁側で北風に当たり続けた日もあったほどだった。

発達障害の認知が低かった子ども時代

 そして30歳のとき、発達障害を疑って受けた心理士と対面で行う心理検査の中に、算数の問題が含まれていた。また脳が拒否をする感覚に襲われた。正直に心理士に「脳が拒否をする感覚があります。理解できません」と伝えた結果、見事に算数LDとADHDの診断が下った。  算数ができないことは努力不足ではなかった。障害だったとわかった。最初に湧き上がった感情は親への怒りだった。なぜどうやってもできないことを無理やりやらせようとしたのか。発達障害が認知されていない時代だったとはいえ、ここまでやってできないのなら何か脳の障害を疑い、子どもの頃に医療機関を受診させてもよかったのではないだろうか。  検査結果を親に知らせると最初は信じてもらえなかった。ADHDの検査には時間制限がある中で同じ記号を見つけるといったテストもあり、親にその内容を話すと「誰だって急かされたらミスをする」とまで言われた。親は発達障害に関して正しい知識がなかったのだ。  やがて私の書籍デビュー作『私たちは生きづらさを抱えている~発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音~』(イースト・プレス)が刊行されると、やっと親は少し障害に対して理解したように思える。母親は元養護教諭のため、これまで多くの加害行為をする生徒や知的障害のある生徒と接してきた。、そのためか、そういった子たちと比べることで私は障害のない子どもだと判断されていたようだ。  子ども時代に親や教師から受けた障害への無理解。もし、産まれてきた子どもが発達障害だったとしたら、こんなつらい思いを自分の子どもには絶対にさせたくない。そのために小さいうちから子どもの特性を気にかけ、必要であればすぐに療育に繋げるつもりだ。発達障害当事者や医師や専門家への取材も多く行ってきたおかげで知識は豊富だ。
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障害を理由につらい思いをさせたくない
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