蜷川幸雄が『NINAGAWAマクベス』で仏壇を出したと久部は言うが、蜷川は仏壇と拝む老婆を出すことで、シェイクスピアに馴染みのない日本人の庶民にも共感できるものを作ろうとしていたのであって、決してわからなくていいとは思っていなかったのである。蜷川幸雄の書籍も作っていた筆者はそう思う。ただ、久部が良かったと語る日生劇場の『雨の中、三十人のジュリエットが還ってきた』(82年 作:清水邦夫)は幻想的な作品で、暗喩に満ちてちょっと難解かもしれない。

「もしがく」第1話の場面写真 (C)フジテレビ
この作品のチョイスは演劇ファンとしては満足。蜷川ファンだったら84年の秋設定なら、その年4月にPARCOの中にあった西武劇場(現PARCO劇場)で上演された『タンゴ・冬の終わりに』(作:清水邦夫)に言及してほしかった。でもここはタイトルに「ジュリエット」が入っているほうがわかりやすい。菅田将暉は蜷川演出で『ロミオとジュリエット』(14年)を演じているし。『タンゴ・冬の終わりに』はタイトルがかっこいいけど意味がわかりづらい。
久部は「(客は)わかりやすさなんか求めていない」と観客の知性やセンスを信じている。でも、三谷幸喜は「ウェルメイド」な演劇の第一人者である。構成が巧みで物語の展開がよくできている、上質な作品という意味で、見る人を選ばず、誰にでもわかりやすく楽しめるものとして、人気を博してきた。

「もしがく」第1話の場面写真 (C)フジテレビ
久部は三谷をモデルにした人物ではなく、三谷をモデルにした人物は神木隆之介演じる脚本家の蓬莱省吾のほうだ。蓬莱は芸人たちの台本に「罰より罪のほうがいいのでは」と冷静にチェックを入れていた。彼は久部と違ってわかりやすいものを目指しているのだろうか。久部と蓬莱の出会いに期待したい。
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『もしがく』ドラマレビュー
<文/木俣冬>
木俣冬
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『
みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:
@kamitonami