笑いながら話す高橋さんだが、その尽力は並大抵のものではない。支援には終わりがないこと、を日々痛感する状況下で、良い意味で“諦念”が生まれてきたと明かす。
「表現が難しいですが、長年当事者への支援をしてきて、『ありのままのそのひとを受けとめる』と距離を置いたほうがラクになると感じるんです。もちろん私たちの支援によって、心に傷をおった人が回復してくれるのはこの上なく嬉しいですが、現実はそう上手く運ばないものです。
こちらが伴走したからといって、『相手が成長していく』とか、『コミュニケーション力が培われる』とか、過大な目標を掲げると疲れますし、支援側もキリがなくなってしまうんですよね。それは“諦め”というか、“手放す”みたいな感覚に近い。支援者と相談者がお互いエゴを持たず、フラットに接していられる関係が自然だと感じています。
利用者にも同じようなことを伝えています。もし他の利用者にムカついたら、その場を離れるのも1つの手段だと教えているんですね。仲良くしなくてもいいから、傷付けるのだけはやめて欲しい。同じ空間を共にする同士、最低限は尊重し合ってと伝えるほうが、場が平穏になるんです」
高橋さんが口にした“手放す”という感覚は、当事者支援の立場としては矛盾したように映る。しかし本質的に見れば、一定の距離感を保つからこそ、支援者と相談者、あるいは当事者同士の関係が、円滑に持続することを示している。

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逆に、相談者との距離が近くなると、共依存のようになり、お互いが「支配する/される」いびつな関係が構築されてしまうという。
「支援を始めた当初は、使命感から当事者を助けたいという気持ちが強かったんです。以前は、オーバードーズした子から助けて欲しいと連絡が来たり、リストカットの写真が送られたりすれば、深夜帯でもただちに駆けつけていたんですね。私としては、相談所の活動で生計を立てているし、まっすぐな気持ちから利用者のために必死でした。
ただ次第に、それはお互いにとって不健康だと悟りました。支援者からすれば、困った時にSOSを発信すれば、すぐに助けてくれる状況が生まれる。それは本人が自分の苦しみと折り合いをつけていくことから遠ざかることでもあるんです」
また、支援者が付きっきりでケアを行うと、「相談者に主導権を握られてしまいがちになる」と続ける。
「一度SOSに応じれば、向こうも要求が大きくなり、それを断ると激昂される。こちらが休日なのに『なぜ電話に出てくれないんだ!』『いま来てくれないと死ぬから』『私のこと大切に想ってくれないんだ』とぶつけられるわけです。助けを求めている側が、徐々に支配的になっていく、どこか捻れたロジックが出来上がってしまうんです。
そうなると私たち支援側も、応えようとすればするほど重荷になってしまい、自然にプライベートの時間が削れてしまう。休日でも相談者のことがチラついては、頻繁に携帯をチェックして落ち着かず、四六時中息が抜けない状況に陥っていたんです。
初めは純粋な気持ちから対応していたのが、いつしか『文句を言われるのが怖い』『死なれたら私の責任だ』という義務感で動くようになり、相談者から電話がかかってくるのが、緊張で眠れなくなりました」