「来てくれないと死ぬ」深夜のSOSも…… 大人になった“元・児童養護施設の子どもたち”を支える現場のリアル
「ケアリーバー」という言葉を知っているだろうか。肉親からの虐待やネグレクト、家庭の経済的困窮などの事情から、児童養護施設や里親家庭などで育った経験を持つ当事者を指す総称だ。社会的な「ケア」を、「リーバー(離れたという意味)」した、だからケアリーバーと呼ばれている。
【前編を読む】⇒「自殺未遂」「妊娠5か月で中絶希望」…なぜ彼らは“限界”まで耐えてしまうのか?子ども時代に支援を受けていても
ただ一方で、社会的養護を受けて成人した後も、当事者の多くは支援を必要としている。虐待によるフラッシュバックや、精神疾患などの後遺症、あるいは経済的に頼れる家庭がなく困窮に陥るなど、独り立ちを求められてなお実生活につまずく人は多い。
社会的支援を受けたのだから大丈夫だろう――。ともすれば、こうした先入観もよぎるが、被虐待者の生きづらさが完全に解消されることはごく稀だ。
とりわけ年齢を重ねるほど、支援を求めづらくなるのも事実だ。居場所支援を行うNPO団体の多くは、相談者への年齢制限や女性限定などの制限を設けており、高齢になるほど支援の網から漏れる可能性は高くなる。
こうした路頭に迷うケアリーバーを、年齢制限なく支援する団体がある。社会福祉法人子供の家「ゆずりは」だ。
事実、ゆずりはには、10~60代の相談者から、年間で延べ2~3万件のSOSが届く。「死にたい」「助けてほしい」といった直球の悲鳴から、「妊娠5か月だけど中絶したい」「家賃を何か月も滞納して電気が止まっている」といったより具体的な訴えまで、どれもひっ迫した声ばかりだ。
成人後もケアを求める相談者の実情や、支援を続ける上でどのような葛藤があるのか。
高橋さんが所長を務める「ゆずりは」では、年間200人近くのケアリーバーを支援している。それだけ成人以降も、独り立ちに失敗して、SOSを求める人は多い。
ゆずりはを立ち上げて15年目に突入するなか、高橋さんが支援者として苦労するポイントが大きく2つある。
まず1つが、「支援に終わりがないこと」だ。
「一例を挙げると、家賃を何か月も滞納して追い出され、ホームレス状態になって支援を求めてきた人がいたとします。そうした相談者に対して、私たちは生活保護申請の手続きに同行し、不動産会社に付き添ってアパートの契約を結びます。一人暮らしを始め、安心な暮らしを整えいく、あるいは、安定した生活を維持するために居場所事業を利用してもらいます。これがおおよその支援の流れです。
必要な制度が利用できたら、住まいが持てたら、一件落着というわけではありません。当然ながら、その人の生活は続いていくため、将来への不安から希死念慮が生まれたり、鬱っぽくなって家がゴミ屋敷と化したりと、さらなる支援を求められることはよくあります。
相談所を立ち上げて15年目になりますが、成人後のケアに終わりはなく、出会ったひとたちの多くが「ゆずりは」を拠り所としています。それだけ支援や伴走には、終わりがないのだと日々痛感しています」
一度、支援を提供したからといって、当事者が完全に回復することはない。特に、虐待などの影響でトラウマや精神疾患を負った当事者たちは、一般の人からすれば些細なことで傷つく場面も多いだろう。
過去に、筆者が当事者を取材した経験上では、次のようなケースが散見された。
・仕事で上司に怒られた際、幼少期に親から暴言を吐かれた光景がフラッシュバックして、過呼吸や対人恐怖症を発症して休職にいたる。
・経済的に頼れる親元がいないため、常に「お金を稼がないと生活が破綻する」という緊張状態を抱え続けた結果、心身を消耗して鬱状態になる。
・恋人や友人との関係の中で「捨てられるのではないか」という不安が強く、束縛や依存を繰り返しては関係が破綻してしまう。
実生活につまずきやすい状況は、年齢を重ね、虐待の渦中を抜けても変わることはない。それは言い換えれば、支援する側にもゴールがないことを意味する。
次に2つ目が、「利用者同士のトラブル」だ。
「ここを訪れる利用者たちは、共通して苦しい子ども時代を送ってきた共通点があります。境遇が近しいから生まれる親睦もありますが、利用者間で摩擦や傷つけ合うことが起きることも少なくありません。
例えば、20歳と40歳の相談者女性がいたとすると、若者が年配の方に向かって『その年になっても相談に来てんの?』って揶揄するんですよね。すると応戦するように、年配の方が『私たちが若い頃はこんな待遇の良い場所はなかった(だからあなたは恵まれているわね)』と皮肉っぽく言うんです。それで利用者同士が揉めることもあります。
あるいは、「自分は一度も保護されなかった。施設に入れた人ばかり優遇されてずるい」と、施設生活を経験したひとに怒りをぶつけたりする場面もあります。本当は自分の親や家族に向けたい怒りや気持ちが、そばにいる人たちに向けられてしまう。深い傷つきや孤立があるからこその言動であることを考慮すれば、そう文句を言うのもわからなくないんです」
上記のような利用者同士の軋轢を、高橋さんは“狭い水槽の中での傷つけ合い”と喩える。
一見、つらい境遇を経験したもの同士、シンパシーを感じて連帯すると思いがちだ。
ただ、親からの虐待や貧困など恵まれない環境で育った当事者たちは、それだけ恵まれている他者に対して過敏で嫉妬も芽生えやすい。相談所の職員への「独占欲」をあらわにしたり、自分のほうがしんどい過去を送ってきたと不幸や傷つきを振りかざしたりと、割と張り詰めた空気になる瞬間もある。
「もう本当にトラブルだらけです。相談者が揉めること以外にも、スタッフに向けられる過度な要求にすぎることに辟易して、『帰れ!』『連絡してくるな!』とブチギレて暴言を吐いてしまうこともあります。怒りをぶちまけることは控えたいですが、笑いやユーモアに変えていかないとやってられない瞬間ばかりですよ(苦笑)」
成人後の支援には“終わり”がない
「もう本当にトラブルだらけです」
次に2つ目が、「利用者同士のトラブル」だ。
「ここを訪れる利用者たちは、共通して苦しい子ども時代を送ってきた共通点があります。境遇が近しいから生まれる親睦もありますが、利用者間で摩擦や傷つけ合うことが起きることも少なくありません。
例えば、20歳と40歳の相談者女性がいたとすると、若者が年配の方に向かって『その年になっても相談に来てんの?』って揶揄するんですよね。すると応戦するように、年配の方が『私たちが若い頃はこんな待遇の良い場所はなかった(だからあなたは恵まれているわね)』と皮肉っぽく言うんです。それで利用者同士が揉めることもあります。
あるいは、「自分は一度も保護されなかった。施設に入れた人ばかり優遇されてずるい」と、施設生活を経験したひとに怒りをぶつけたりする場面もあります。本当は自分の親や家族に向けたい怒りや気持ちが、そばにいる人たちに向けられてしまう。深い傷つきや孤立があるからこその言動であることを考慮すれば、そう文句を言うのもわからなくないんです」
上記のような利用者同士の軋轢を、高橋さんは“狭い水槽の中での傷つけ合い”と喩える。
一見、つらい境遇を経験したもの同士、シンパシーを感じて連帯すると思いがちだ。
ただ、親からの虐待や貧困など恵まれない環境で育った当事者たちは、それだけ恵まれている他者に対して過敏で嫉妬も芽生えやすい。相談所の職員への「独占欲」をあらわにしたり、自分のほうがしんどい過去を送ってきたと不幸や傷つきを振りかざしたりと、割と張り詰めた空気になる瞬間もある。
「もう本当にトラブルだらけです。相談者が揉めること以外にも、スタッフに向けられる過度な要求にすぎることに辟易して、『帰れ!』『連絡してくるな!』とブチギレて暴言を吐いてしまうこともあります。怒りをぶちまけることは控えたいですが、笑いやユーモアに変えていかないとやってられない瞬間ばかりですよ(苦笑)」



