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「常にいい人でいなきゃ」メンノン出身・31歳俳優が明かす、長男としての葛藤と“初めてやりたいと思えた”俳優への道

自分の本当にやりたいことを抑えてしまっていた子ども時代

1211_宮沢氷魚さん③――タモツはサチと自分の現状を比較して、揺らいでいたと思います。宮沢さん自身が、他人と比較して揺れた時期などはありましたか? 宮沢:揺れるというか、「常にいい人でいなきゃ」と思っていた意識がありました。僕は3人兄弟の長男で、弟と妹がいるのですが、トラブルを起こさないお兄ちゃんでいるようなところがあったんです。弟と妹がケンカを始めたら仲裁したりして、親や兄弟に対してバランサーの役割を担っていたんです。 その結果、自分の本当にやりたいことや見せたい一面を抑えていた部分もあったと思います。弟や周りの友達が自由にしているのを見ると「いいな」と思っても、自分にはできませんでした。でも、それをできなくしていたのは、結局、自分自身なんですけどね。 1211_宮沢氷魚さん⑧――では、芸能界に踏み出したときは、「これをやりたい」という自分の意志を初めて出せた瞬間だったのでしょうか。 宮沢:そうですね。それが親への反抗というわけではなく、たしかに自分が挑戦したいと思ったことに、初めて思い切って動いた瞬間だったと思います。家族も周りも驚いていましたね。

大人になり、父への感謝の気持ちが増している

――ご両親との子ども時代の思い出や、抱いていた思いはありますか? 宮沢:家族の時間を優先してくれたことに、とても感謝しています。父は、休みの日など家にいるときは、おそらく疲れていたはずなのに、起きてきてごはんを作ってくれていました。 1211_宮沢氷魚さん②――お父様がごはんを? 宮沢:はい、作ってくれました。それだけでなく、一緒に釣り堀に行ったり、遊園地に行ったりもしました。子どもながらに感謝はしていましたが、今思うと、余計にすごいことだったなと感じます。
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子役たちとカメラの外でもコミュニケーション
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