しかし、エイヴェントは学歴によって人生の勝敗が決まることなどあり得ないと考えます。それはあくまでも大学までの話で、人生そのものには結果を比較したり、勝者と敗者を区別する明確なゴールなどどこにもない。ゆえにエイヴェントは、この終わりなき“キャリア戦争”の行き着く先にあるものは燃え尽きだと見ています。
「親は、誰も勝者となり得ないレースを勝ち抜かせようと、教育にありったけの時間を費やす。そのように育てられた子供は、どれだけ頑張ったところで満たされることのない成果を求めて、狂ったように走り続けるだろう。
だが彼らがそのレースから降りるとき、それは、精神的にも肉体的にもエネルギーが尽きたことを意味する。」
こうしたエリートたちの“燃え尽き”を裏付ける記事が、同じ『1843』に昨年掲載されていました。
それはボクシングにハマる香港のビジネスマンのお話。(「
HONG KONG’S REAL-LIFE FIGHT CLUB」)
彼らはただのエクササイズでは飽き足らず、実際に試合で殴り合うのだそう。しかもそれが「White Collar Boxing」というイベントで見世物になっているというのです。他人がうらやむキャリアと収入があるのに、どうしてわざわざ痛い思いをしたがるのでしょう?
ゴージャスな「White Collar Boxing」の試合(香港、2016年9月24日)。女性のボクサーもいる。プロモーターの公式サイトより http://vandapromotions.com/
「THE LAW」のリングネームを持つ、エド・ピールの話が象徴的です。
「負けた事実以上に、試合の中で自分が犯したミスについて繰り返し反省しているんだ。あんなに練習したのに、実戦で発揮できなかったじゃないか、とね。
でもその一方で、負けたらどうしようなんて思いながらリングに上がったわけじゃない。全部の試合を勝ちたいと貪欲にならなければ、あそこにいちゃいけないんだよ。」
エリートたちのボクシングだけあって、観客もこんなにゴージャス(出典同上)
これは、先の記事でエイヴェントが指摘した燃え尽きの一歩手前の状態ではないでしょうか。勝ち取ることで切り開いてきた人生だから、立ち止まって満たされる状態が理解できないのですね。だから、殴られて痛い思いをしてまで、新たな目標を設定する。
しかし、その“切り開いてきた”実感そのものが「馬鹿げた競争」の延長でしかなかったとしたら、一体どこに終わりがあるのでしょうか。
確かに世の中が認めるステータスや給与明細が示す数字では、彼らは幸せであり勝者なのだと思います。小さいうちから受験の準備に取り掛かるのも、子供にその安全な道を歩ませたいと願う親心からでしょう。気持ちは痛いほど分かる。
ひとたびルートに乗っかれれば、とりあえず食いっぱぐれないだろう。そうしてやるのが親の務め。何も間違っていません。でも、分かっちゃいるけど……。