湯山:まあ、男に期待しすぎというか、もっと言えば世の中に期待しすぎですよ。基本的に、
世間は自分に応えてなんかくれないと思って、世の中をもっと低く見積もらなきゃ。
森林:それはどういうことですか?
湯山:いまの若い子は少子化で育っているから、親の愛情をたっぷり受けているし、自分が不当に扱われる理不尽に慣れていない。なので、「自分は愛されて当たり前」と思っているわけですが、そんなことはない、ということ。加えて、自分の力で人生を支えていく脚力が弱くて、相手に人生全部を変えてもらえるような期待をしてしまいがち。
「この人が自分をもっと幸せな場所に連れて行ってくれるかもしれない」と思ってしまうんだけど、自分を幸せにするのは自分自身しかいない。自分を一番にしなきゃいけないのに、
他人を一番にしちゃって、滅私奉公。そうして返礼を期待する、といった考え方をする。そのほうが責任取らなくていいわけだから。
森林:白馬の王子さまがやって来るっていい年まで思っている人多いですもんね。そういう人は今の自分を受け止め、自己を確立して、社会の中でのポジションを確保したほうがいいってことですか?
湯山:その通りです。みんな、
恋愛やセックスで自分を承認されたいと思いすぎるから、メンヘラが生まれるんですよ。他人からの承認を、自尊心やエネルギーの源にしちゃダメ。今の日本のシステムの中では、仕事に燃えたほうがまし。仕事には、がんばったぶんだけ返ってくるフェアな部分があるし、お金だけでなく人格的にも社会的にも承認される。そっちの方がまだ健全。
それに今は、
自分を他人に明け渡さないしっかりした女のほうがモテます。男もそれができてなくて、誰かに頼りたいと思ってるんだから。
森林:自分よりバカな女か頼りになる女のどちらか、両極端ですね。“世の中を低く見積もる”というのは、僕の言う“セックスに余計な意味を込めない”に通じるところがありますね。
セックスって、その瞬間だけは目の前の相手を心から受け入れて、ぬくもりや居場所を与え合うことができるけど、
その愛は一瞬だけで、未来まで保証するものではないと思うんです。それなのに、セックスに愛情の証という意味を込めたり、承認という見返りを求める人は多いと思います。