けれど、今思えば、「もっと早く名前を付けてあげればよかった」と思います。「そうしたら、もっとずっと早く愛着がわき、もっともっとかわいがってあげられたかもしれない」と悔いています。
初めから我が家になじんでいたタリでしたが、反面で人間をとても警戒していました。きっとたくさん怖い思いをしてきたのでしょう。触らせるようになるまで半年、私のひざに乗ってくるようになるまで1年かかりました。
「
甘えたいけど、怖い」
「
近よりたいけど、信頼できない」
タリのなかには、そんなアンビバレンツな感情がいつも同居しているようでした。
でも、本当は抱っこが大好きだったのです。抱っこされたいのにずっとできず、もじもじしながら寄ってきては、のど鳴きしながらスリスリし、私の脚に前足でタッチしては引っ込め、お尻を乗せては立ち上がり……を繰り返していました。
タリが走ってやってくる
タリが、自分から私のひざに乗って来るようになったのは事故の数ヶ月前でした。いったん、抱っこするようになると、「いい加減に降りて」と、強制的に降ろさないと、ずーっと乗っかっているほどの抱っこ好きでした。
生きていれば、これからいくらでも抱っこができるはずでした。ようやく苦労人生は終わり、飢えることも、寒さに震えることもない人生が始まるはずでした。それなのに
幸せのスタート地点に立ったところで、タリはあっけなく逝ってしまいました。
ケフィやでんすけが亡くなったとき、悲しみは大きくても、どこかに「愛しきった」という達成感のようなものがありました。だけどタリに対しては、「何もかもこれからだった」という思いでいっぱいです。
タリが現れたとき、私はでんすけを失った悲しみをケフィの面倒をみることで埋め合わせていました。そんななかで、どれだけタリと向き合ってあげられたのか。「そのうち」「いつか」と先延ばしにしていたような気がしてなりません。
亡くなった日も、「にゃぁ」と言いながら何度も両目ウィンクを送り、抱っこをせがむタリに「また今度ね」と声をかけ、私は家を出ました。「今度」など二度と来ないなど思いもせずに。
あれがタリとの永遠の別れになるとはつゆほども知らずに。
そんなタリが、せめて天国で「ずっと抱っこしてもらえている」と思ってくれるよう、荼毘に付すときには私が着古したTシャツでくるみました。それが、たったひとりで逝かせてしまったタリに対して、私がしてあげられる唯一の、最後のことでした。
<TEXT/木附千晶>
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【木附千晶プロフィール】
臨床心理士。IFF CIAP相談室セラピスト。子どもの権利条約日本(CRC日本)『子どもの権利モニター』編集長。共著書に『子どもの力を伸ばす 子どもの権利条約ハンドブック』など、著書に『
迷子のミーちゃん 地域猫と商店街再生のものがたり』など