DVシェルターは「寒くて暗くて怖かった…」課題が多い現状とは
「DVシェルターでの話は外で漏らしてはいけない決まりになっています。場所などが特定されたら、困る人がいるからです。
でもそのおかげでブラックボックスになってしまって、シェルターでの生活の質が上がらないように思います」
こう話すのは、民間団体が運営するDV(ドメスティックバイオレンス=家庭内暴力)のシェルターで約1ケ月暮らした夏央さん(仮名・25歳)です。モラハラ夫と離婚して実家に戻ったのですが、実母に暴力をふるわれ、相談に行ったセンターでシェルターを勧められたのです。
前回の記事(「DVから逃げてシェルターに入った女性が見たシビアな現実」)に続いて、シェルターでの生活から退所するまでの話を聞きました。
公的シェルターのほか、全国に民間シェルターがあり、場所によって状況は違うでしょう。あくまで夏央さんの体験としてご紹介します。
「シェルターには家族連れや年配の方、ギャンブル依存症の人や、夫からDVを受けている人まで、いろんな人がいました。自分のことを話すのは禁止されていたので、談話室でこっそりおしゃべりするんです。
入れ替わりは激しかったですが、常に入居者が3~6人くらいになるように調整していたのではないかと思います。それほど大人数になることも、1人になることもありませんでした。
家族連れが来るとご飯が豪華になります。だから『やった! 子どもが入ってきた!』なんて喜んでましたね。普段はほんとうに食事が質素なんです。
朝食は冷凍の食パンを焼いて、ジャムとチーズがひとつずつ配られました。昼食や夕食は、たとえば大盛りのパスタに、インスタントのふりかけのようなもので味つけしたもの。まずくてとても大量には食べられません。
おやつは、コーヒーか紅茶を1杯と、チョコやクッキーがひとつ。入居中にどんどん痩せていきました。でも子どもが来ると、バナナやプリンが出たりするんです」(夏央さん)
一時避難できるシェルターができたことは大きな進歩ですが、民間シェルターは寄付金や行政からの補助金などで運営されていて、どこも資金不足。食事や光熱費をケチらざるを得ないし、スタッフも無給のことが多いそうです。

また、傷ついた女性たちが集まっているだけに、環境はなかなかハードです。
「夜中に、個室のドアをドンドンと叩いて入ろうとする人はいるし、電気は暗いし、心底、毎日怖かったです。本当にここは女性を守るための施設なのかと思うほどです。
シェルターで働いているスタッフは、資格を持った人ではなく、一般のかたでした。なり手が少ないのか、入居者がケースワーカーにスタッフの仕事を勧められていました。電気も水道も切り詰めていて、必要なものすら揃えない、すごくお金がない感じなんです。
衣類も着の身着のままだったので寒くて。エアコンは19度設定で、9時~17時しかつきません。お布団も、敷き布団に毛布だけ。ケースワーカーに布団を増やして欲しいとお願いしたら『ワガママだ』と怒られました。
ここで過ごすうち、とうとう私は体調を崩してしまいました」(夏央さん)
DVシェルターでは、自由に外出できないところが多いようです。DV家族のもとに戻ってしまったり、外で誰かに会ってシェルターの場所を知られたり…を防ぐための外出制限。ですが、入所者は不自由を感じるのも事実でしょう。
「病院に連れて行って欲しいとお願いしましたが、シェルターの外に出るのにいくつもの許可がいるらしく…『交通費と病院代を自分で出すから!』と懇願して、ようやく外に出られたのが夜中の12時。『自腹なら行っていい』とスタッフがタクシーを手配してくれて、それに乗りました。
私の体調不良は、シェルターの生活に耐えきれないことだとわかっていたので、病院に行くと気分はよくなってしまいました。お医者さんには『閉所恐怖症』と診断されましたが、ついてきてくれたケースワーカーに『それは努力して治して』と言われました。努力って、どうすればいいのでしょう?
本当に『このまま施設にいたら病気になってしまう』と、真剣に外に出ることを考え始めたんです。
私が病院から戻ると、入居者が何人も泣いていました。どうしたのかと聞いてみると、『死んじゃったと思った』と言うんです。病院に行った翌日、私は帰ってこないし、ご飯が用意されてなかったので入居者がパニックになったそうです。
そしてその3日後、若い入居者がケースワーカーと病院に行ったまま、戻ってきませんでした。スタッフは『退所した』と言っていましたが、退所するときは話す約束をしていたんです。本当は逃げ出したんじゃないかと思っています」(夏央さん)
自分のことを話すのは禁止

寒くて怖くて、体調を崩してしまった
「死んじゃったと思った」と泣く入居者たち

1
2