うまくいっているように見える結婚生活でも、互いに不満がまったくないことはあり得ない。何かしら不満を抱きつつも、「家庭を壊したくない」というコンセンサスのもと、双方とも少しの我慢と少しの妥協を繰り返しながら生活しているのだと思う。
だからこそ、当人にふとした隙間があるとき、あるいは毎日の生活の中でふと闇に紛れ込んだような気分になったとき、「恋の魔の手」に陥ってしまう可能性がある。つまり、
誰でも「浮気する危険」を抱えているのだ。あとはタイミングと相性と勢いが合致すれば、浮気や不倫に陥っても不思議はない。
人間はそれほど強くない。配偶者が自分の心に寄り添ってくれなければ、寄り添ってくれる人に心が動くことはありうる。多くの人は、すんでのところで自制が効いたり、あるいはタイミングが合わなかったり、今後をシミュレーションしてめんどうになったりして不倫から逃れているだけなのだ。
誰でも浮気をする可能性がある。浮気される可能性もある。どちらが悪いとか、誰がいけないという問題ではないのかもしれない。
<文/亀山早苗>
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【亀山早苗】
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『
復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数